2009年7月12日 (日)

桐の実

Sigaiti  久しぶりに一番橋にさしかかった。 梅雨の晴れ間で、駅周辺の町が鮮やかに見えた。

PhotoPhoto_2  ぼんやり立って、常磐線の通過を見ているとしばし傷の痛みが忘れられる。

 いつだったか二階建てのグリーン車が初めて連結されたとき、上野から土浦まで無料で乗れたことがあった。 座席は普通電車と変わらないが、二階から眺める沿線の風景はいつもと違ってとてもよかった。 新しく装った電車が最近多く見られるようになった。

Photo_4Photo_5Photo_6  線路わきの道路の茂みを過ぎると、桐の木が見えてきた。 

 ラクイラサミットの終日、麻生総理大臣が日本政府の桐の紋章のついたテーブルの前に立ってスピーチしていた。 この桐の梢には、桐の実がいっぱいついていた。  

2009年7月11日 (土)

父の日のプレゼント

PhotoPhoto_2 今年の父の日は、病室で迎えた。 希望する品物も無かったので『何にも要らんよ!』と言っていた。

 入院直前、下の娘がにこたまの高島屋で見つけた若向きのパジャマを送って来た。 その中に娘たち連盟のコメントが入っていた。 『回復したら、マーチャンのブログ取材に付き合ってあげるから頑張って!』といった内容だった。

 ニコニコした、着物を着せたら京人形のうなF薬剤師さんが、『お嬢さんたちのプレゼントいいですね!』と声をかけてくれた。 『父の日のプレゼントだー!』リハビリ師のすてきなI さんにも声をかけられた。 それでなくても暇人のマーチャンは、うれしかった。

 『マサルさんお変わりありませんか?』気さくで、身の回りの整頓までしてくれる面倒のいいY看護師さんが入って来た。 向かいの病室に同姓の患者さんがいたので、名前で声をかけてくれたのだ。 『マーチャンと呼んでくれると尚うれしいんだけど!』といたら『とんでもない、そんなことしたら院長先生と婦長さんに・・・・・・!』 この病棟はとても明るくて、職員の方々がどなたもやさしく、心地が良い。 

 退院直前の昼食の御膳が届いた。 思いをこめて美味しく御馳走になった。 これからは、家内手作りのそうめん・冷やし中華・食パンサンドなどの軽食に戻ってしまう。 

2009年7月10日 (金)

マーチャン農園のお友達

PhotoPhoto_2  退院後、初めて農園を訪れ写真に収めてきた。 前にも投稿した幼馴染のマコちゃんが、マーチャンの説明以上の作品をつくってくれた。 タヌキ除けのトマトハウスの金網と藁の代わりのビニールシートに地這キュウリの苗を几帳面に植えてくれた。

 『暇な老人を一人連れて行きます。』数か月前、そんな連絡が入って板橋からセルシオを飛ばしてやって来た。 その老人とは色白のSさんで、マコちゃんの後輩であった。 退職後東大で講師も務めているという。 畑仕事は初めてで炎天下帽子もかぶらず半袖で草取りを始めた。 「青のり瓢箪」というあだ名を都会の中学生に付けられていたハンサムなS君は、日焼けをご希望のようだった。 マーチャンも10年前は、彼らと同じように元気だった。

Photo_3Photo_4Photo_5  きのうは教え子のHさんとお馴染みのkazuさんが草取りをしてくれた。 『趣味でやっているんだから手伝わないよ!』と言っていた家内もマーチャンの代役をつとめなければならない。

3年前に苗木で買ってきたキュウイが大きくなってきた。 ツルで伸びるキュウリとゴウヤも大きくなってきた。 このアーチも皆さんの合作である。 マーチャンは農園のお友達に感謝している。 

2009年7月 9日 (木)

帯状疱疹

PhotoPhoto_2  久しぶりに県南病院へ定期検診にやって来た。 U先生はじめ多くの看護師さんやお世話になった方と会話を交わすことができた。 懐かしい寄宿舎へ帰って来たような気分になった。 毎朝この辺りを、パジャマを着たエリマキトカゲが首や腕を振りながら散歩していた。

『病院の外へは出ないで気をつけて行ってらっしゃい!』看護師さんの注意も忘れて、裏の杉林をくぐって畑に出た。 マーチャン農園のナスやキュウリより見事な野菜たちが藁の寝床ですくすくと成長していた。

Photo_3Photo_4Photo_5 マーチャンが入院していた二階の病棟である。 談話室で語り合ったTさん・Oさんそして同じ日に手術したNさんの姿はない。 みんな希望を持って退院して行ったのだ。 4日の土曜日に水郷公園で再会を約したTさん・Oさんとの再会は、マーチャンの帯状疱疹で延期となってしまった。

 幼いころ患った水泡の細菌が、マーチャンのすきを狙って左半身を襲った。 土浦皮膚科の先生や看護師さんたちに同情されながらお世話になっている。 年齢が高いほど症状が強く治るのが遅れるという。 今やっと頂上を超えたところである。 

2009年7月 8日 (水)

脳神経外科による脊髄脊推疾患手術

Photo030Photo_2  トロピカルズーの動物たちは、真夏の直射日光を浴びてぐったりしていた。

手術後6日目、朝の回診にU先生方が入室してきた。 首輪がきついので、ゆるめて顎まで被っていた。 『変わりないかな? ちょっとその首輪 まるでエリマキトカゲじゃないか!』若いU先生らしい単刀直入の診断であった。 自分の今の姿を振り返って、思わず吹き出してしまった。 

 昨年の8月2日の読売新聞に『神経を熟知し、脊髄脊推をまもる』と題した医の達人 金 彪氏の話が掲載されていた。

 腰椎や頚椎の疾患を持つ人は、65歳以上の4人に1人は抱えているという。 脳神経外科は、神経全体の病態を熟知し、顕微鏡を使ったマイクロサージャリー(精密手術)を行っているという。 マーチャンがお世話になった県南病院は、金彪氏が推奨する全国で20の病院に入っていた。 同病院のホームページによると昨年は、70例の頚椎手術を行っていた。

 マーチャンの体に巻きついていた、点滴・尿管・傷口に挿入されていた320グラムの出血管が順次外されていった。 そして10日目には、切り傷をホチキスのような金属で止められていた物が切り取られた。 血液検査・MRI・レントゲン・CT検査の結果も良好であった。 ちなみにMRIは磁気を利用し、CTは放射線で撮影されることを知った。

『仏滅と先負に退院するのはどうか?』 同室の先輩Hさんが家族の人と語っていた。 「先負の午後」ならばと考えて、13日目の土曜日に懐かしい我が家へ帰って来た。 マーチャンの第二の人生の岐路に当たって、U先生をはじめ、多くの方々の善意とご支援を戴いた。 ここに深甚なる謝意を申し上げ、入院生活の報告を終わる。

2009年7月 7日 (火)

病室の先輩・後輩

Photo074Photo_2  熱気球がサトウキビ畑を横切って、水をたっぷり含んだ牧草地にランデングした。 牽引車の荷台に乗って、無事に地上に戻って来た。

『医学的には手術の翌日からは歩いて、普通食をとってもいいですよ!』 とU先生がおっしゃった。 翌朝ベッドごと廊下やエレベーターに乗って、レントゲン室に運ばれた。 レントゲンと・CTを撮っている間は何とか我慢できたのだが、若い時よくかかった車酔いと同じ症状に襲われた。 『乗り物に弱いのは、お父さんに似たのだ!』あとで娘たちと家内との電話での話題の餌食にされてしまった。

 『マーチャンの前に手術した義伯母さんは、元気に歩いているよ! 元気だしなよ!』同室・同病のTさんが、声をかけて励ましてくれた。 マーチャンより10歳若いTさんと、更に若い埼玉のHさんが入院直後から、やさしく励ましの言葉をかけてくれた。 若い先輩との共同生活のスタートとなった。

 やさしいK先生と頼りにしている担任のU先生が、看護師さんや薬剤師さんを伴って午前と午後の回診にやってくる。 『先生、目眩がして気持ちが悪いんです。腸の働きが止まってしまいました。』すっかり幼児に帰って、泣き言を訴えた。 『そのうち動くだろう!』U先生が笑顔を浮かべて出て行った。 午後はリハビリ開始の予定で、若くて素敵なI先生がやって来た。 『無理なようなので、夕方また来てみますね。』 ベッドに横たわって2日目辺りは、最高に腰の痛みがはっしてくる。 動くに動けない状態でいた時、Iリハビリ師さんがやさしくマッサージしてくれた。 仕事とはいえ、痛みを和らげてくれた務めには恐縮した。

 3日目の朝、7時45分待望の朝食が運ばれてきた。 普通食で、病院にしては家庭的な美味しい料理がそろっていた。 箸を持つ肩と腕の痛みを我慢して、頬張った。 やっとルームメートと同じことができるようになった瞬間であった。 

2009年7月 6日 (月)

術後の呻き

PhotoPhoto_2Photo_3  マーチャンの人生を乗せた高山列車キュランダ号が、アリ塚のような断崖にさいしかかった。

 夕やみ迫る頃、全身麻酔から目を覚ました。 ナースセンターわきの集中治療室に酸素マスクを付けて横たわっていたのである。 不覚にも吐き気と痛みに耐えかねて 『OO助けてくれ!』と家内に言ってしまった。 あとで聞いた話によると『看護婦さん助けてくれと言っているんですが。』 『はいわかりました。』 といった冷静な対応であしらわれ、笑い話の種になってしまった。

 夜勤の看護師さんが忙しくナースセンターを出入りしていた。 吐き気をも擁しても出すものがない。 『大丈夫ですか?』OOとは違ったやさしい声が何度か聞かれた。 赤いランプの点滅とかすかな音が聞こえてくる。 おぼろげな記憶で長~い一夜が明けた。

 術後家内はU先生から手術の経過を説明していただいたという。 マーチャンの憶測から辿ってみると、全身麻酔を施されたあと人工呼吸器などを装着して手術に入ったようだ。 下半身のタイツは、血液の正常な循環を助けているという。 頚椎の4~6の狭まった骨が広げられ、人造骨でつなぎ固められていた。 2時間に及ぶ手術の結果マーチャンの中枢神経は正常に戻していただいたのだ。

2009年7月 5日 (日)

頚椎の手術

PhotoPhoto_2  4か月前のこの男に、頚椎手術のゴーサインが出された。

『15日に入院して16日に手術しましょうか?』U先生の返答を聞いて、喜びと期待が沸いた。 先生から手術治療の詳しい説明があった。手術に対する恐れが無いと言ったら嘘になる。 入院早々像影剤注入による脊髄のレントゲン撮影が行われた。

 背骨周辺に麻酔注射が打たれた。 歯医者さんの麻酔注射より強い痛みが走った。 人一倍注射嫌いで弱虫なマーチャンが3~4度うめき声を発しているあいだに『注入管が入りましたよ。 髄液を抜いて造影剤を入れます。』わずかな量と短時間の処置だったのだろうが、とても長く感じられた。

 翌日午後3時前、ベテランの看護婦さんが二人部屋に迎えに来られた。 K看護師さんが『私が手術に立ち会います。心配ありませんからね。』と丁寧に語りかけてくれた。 下半身にきつめのタイツを履かせられた。 サイズの合う首輪も用意された。

 手術用の衣服に着替えて、ベッドごと手術室に運び込まれた。 手術室の内部やお世話になるU先生をも見届けるゆとりはなかった。  『私は、麻酔師のOOです。』他に何か語りかけておられた。

 次の瞬間、マーチャンの記憶は完全に途絶えた。 夢も幻覚もない無の世界だった。

 

2009年7月 4日 (土)

手術前の心の揺れ

PhotoPhoto_2Photo_3  『あまり心配しないで、普段通りの生活をされた方がいいですよ。』採血の時ベテランの素敵な看護婦さんが声をかけてくれた。

 6月11日 意を決して県南病院の外来を訪ねた。 若くてテキパキとしたハンサムなU先生との初対面である。 『脊髄造影剤注入撮影は、手術前提の検査ですよ。』と言われた。 『先生!薬の治療では治らないのですか?』わかりきった愚問を投げかけた。

 数ヶ月にわたる両腕の痛みと痺れは、日常生活にも支障をきたしていた。 ましてや、趣味の旅行や畑仕事は絶望的だった。 この辛い状況から一日も早く脱却したい一念で『先生お願いします!』と言い切った。 しかしだ。

 左心室肥大で、7年ほど前から協同病院で2か月ごとの診察を受けている。 担当の信頼しているY先生は『頚椎の手術 大丈夫!』と言ってくれていた。 県南病院での心電図・MRIの血管撮影が行われた。 『首筋の血管がよく見えないので、エコー検査をしよう。』U先生の一言ひとことが、『もしや手術もできないのか?』と心配をかきたてた。

2009年7月 3日 (金)

頸椎脊柱管狭窄症

PhotoPhoto_2  娘から『お父さん痛いからといって、ゴロゴロしちゃだめだよ! リハビリしたりブログを書いたり元気だして!』厳しい電話でのメッセージがあった。

 術後の首周りから両腕に広がる辛い痛みとの闘いが続いている。 定年退職後、公民館長を務めていた3年間に花壇づくりに時には5時起きで熱中した。 同時に、灌木と篠で覆われた300坪に近い畑作りにも取り組んだ。 お陰で公民館の花壇は、県議会議長賞を受賞し、我が家の野菜たちは多くの親戚知人に喜んでいただいた。

 今年の3月に入って、両肩と腕の痛みと痺れを感じるようになり大学付属病院へ通うようになった。 ロキソニン・ミオナール・メチュバールなどの薬とサロンパス・睡眠剤で痛みに耐えていた。 5月に入って、家内が近所の人に勧められた宮崎接骨院で治療を受けることとなった。 肩の凝りが解され、痛みが和らいだが、痺れは残った。

 『一度脳神経外科で詳しい診断を受けてみた方が、安心できるのではありませんか?』若くてやさしいI先生がこの道の権威である県南病院への紹介状を書いてくださった。 大学付属病院でレントゲンだけは撮って『頸椎が狭まっているため、痛み痺れの原因となっていることが予想されていた。』

 6月8日県南病院で、T院長に会う。 レントゲンを見て、午後にはMRI検査となった。 20分ほどポンポン機船の中にいるような騒がしい音がしていた。 『頸椎脊柱管狭窄症・頸椎症脊髄症』の診断が降りた。 『脊髄に造影剤を注入しての検査を受けるかどうか考えてきてください。』 頚椎の上から4.5.6の部分が異常な状態であることが撮影フイルムではっきりしていた。 『畑仕事のやりすぎが原因ですか?』と尋ねた。 『そればかりでなく体質にもよるんだよ!』と教えてくれた。

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