2009年11月 9日 (月)

立冬後の庭の花

PhotoPhoto_2  温暖な気候が続くためか、我が家の草花が結構咲いている。 もっぱら家内が手入れをしている。

Photo_3Photo_4  土曜日にウララで、デジカメの講座を受けてきた。 カメラ撮影の構図には、『日の丸構図』『3分割構図』『対角線構図』があることを学んだ。 そんなことを頭において、草花のシャッターを押したのだが?

Photo_5Photo_6Photo_7Photo_8

 今年は道路際のサザンカがぎっしり実をつけて咲きだした。

2009年11月 8日 (日)

江戸川の流れ

PhotoPhoto_2Photo_3  流山を悠々と流れる江戸川である。

 利根川水系の分流である江戸川は、関宿で水量を調整され、茨城県・千葉県。埼玉県・東京都の一都三県をながれている。 頑丈な堤防と水量の調整によって、江戸川下流の住宅は水害から守られているという。

 久しぶりに娘と二人の散策で、この地にやって来た。 南流山に魅力を持ち、この地に居を構えることとなった。 秋葉原に勤める会社があり、通勤には便利である。

 この日は、軽トラックで常磐道を走ってやって来た。 お台場の親戚から育児セットを譲ってもらうためである。 マーチャンは、土浦から流山まで運転した。 時速90キロでも緊張が走った。

2009年11月 7日 (土)

薔薇の品種改良

Photo_2Photo_3  杜のアトリエ黎明の庭にはバラがたくさん咲いていた。

 ご覧のバラは、花びらが2色でできている。突然変異で、白い色が混じったという。 バラは、他のバラを台木にして接ぎ木して育てるという。 しかしこの混合色のバラは、次の代では咲かないという。

Photo_4Photo_5  はでやかな洋服の生地を思わせる、見事なバラに見とれてしまった。

Photo_6Photo_7Photo_8  狭い庭園に色とりどりのバラが咲き誇っていた。 最後の写真には、ゼラニュウムやナデヒコなどの花が添えられ花壇を盛り上げていた。

2009年11月 6日 (金)

杜のアトリエ黎明

Photo_2Photo_3  一茶双樹記念館の近くに、杜のアトリエ黎明があった。

 流山市の文化遺産を未来へ継承し、多くの人々に歴史・文化を親しむ場として利用しているという。

Photo_4Photo_5Photo_6  入口をはいると、苔むす巨木が辺りを覆い尽くしていた。

 その先に近代的なアトリエがあり、この日は写真家の作品が展示されていた。

 山や湖の風景写真を鑑賞してきた。 朝もや・夕日などの自然現象を見事にとらえていた。

1020  館の中央に校倉造りの建物があった。 杜の木々で覆われていたが、館の中核的な存在であった。 

2009年11月 5日 (木)

双樹亭と一茶庵

Photo  二間続きの双樹亭である。 枯山水の庭から撮ってみた。 この縁側に短冊と筆が置かれていて、俳句を投稿するようになっていた。

「窶れ身を 癒す娘の語りかけ」とでも書いてみたかった。

Photo_7Photo_8Photo_9 双樹亭の床の間と欄間である。 透かし彫りの欄間は良く見かけるが、竹を組んでの欄間は初めて見た。

 秋元家の数寄屋風造りの書院を解体復元したという。

Photo_103  双樹亭と廊下でつながっている一茶庵である。

 一茶庵は茶会や短歌・俳句などの利用目的で造られたという。

2009年11月 4日 (水)

一茶双樹記念館の庭

038040042  一茶双樹記念館の庭である。 枯山水の石亭であり、松などの樹木が調和して見事であった。 『小林一茶寄寓の地』として、市指定史跡となっている。

Photo049  双樹亭からの庭の眺めである。 最近の住宅には、このような造りは見られなくなってしまった。

 おふくろの実家、瓦合(旧八郷)にはこんな縁台のような廊下があった。 庭を眺めながら、正男おじいさんと将棋を指していたことが思い出される。 おふくろが娘の頃は、「さかぶち」という屋号で醤油などを醸造して東京に店を出していたという。 この家も解体され、その後に孫が新居を建てた。 樹木に囲まれた石庭にはまだ面影を留めている。 

2009年11月 3日 (火)

一茶が流山で詠んだ句

0360373  一茶双樹記念館の見事なお庭に入った。

 『夕月や 流れ残りの きりぎりす

 文化元年(1804)九月二日、江戸川の氾濫で流山が洪水に見舞われた。 家も立木も押し流されるほど荒れ狂った。 夕方には漸くおさまり、空には夕月がかかっていた。 このとき、どこかの物陰で、生き残りのきりぎりすが鳴き始めた。

 一茶は生涯約二万の発句を残しているという。  終焉ー土蔵の中で65歳の生涯を閉じた。 二度の離婚と子どもたちの死という不幸にも遭遇している。                    

 『やせがえる 負けるな一茶これにあり』 『我ときて 遊べや親のない雀』 

2009年11月 2日 (月)

一茶双樹記念館

003005  流山の娘の家にやって来た。 身重の娘が、マーチャンのブログ取材の散歩に付き合ってくれた。

 一茶双樹記念館に着いたら、職員の方達が気持よく迎えてくれた。 

 江戸時代の俳人小林一茶は、人生の多くを旅に過ごした。 この流山にも50回近く訪れているという。 醸造業を営み、味醂の開発者の一人であった秋元三左衛門は俳句をたしなみ『双樹』と号し、一茶と親交を重ねたという。

033  『きょうは特別展示会を催しています。お蕎麦の無料サービスもしています。』 ちょうどお昼時でもあり、ありがたく御接待を受けた。

 懐かしい縁台で、見事な庭園を眺めながら美味しいお蕎麦を頂いた。

2009年11月 1日 (日)

小松ヶ丘の土浦日大高校

016017  小松ヶ丘に建つ、土浦日大高校の正面玄関である。 付属中学校と幼稚園も含め、年々校舎が増築されている。

 市内の3つの中学校に勤めたマーチャンは、22年間卒業生を送って来た。 土浦四中に勤務していた時、土浦日大高校は工藤投手を擁して甲子園出場を果たした。 鈴木監督や運動部の若い監督たちと、土浦四中職員とで定期的な野球の試合を行った。

018Photo  そんな思い出にふけりながら、散歩している。

 教え子だったS君は、この学校のレスリング部にスカウトされた。 優しくて力持ちの彼は日本のレスリング界でも活躍し、現在は日本女子レスリング協会の理事長を務めている。

 

2009年10月31日 (土)

台風の恵み

PhotoPhoto_2  雨が降らず畑が乾ききっていた。 そんな中、台風20号が接近して通り過ぎていった。

 台風で被害にあった方には申し訳ないが、マーチャン農園は、二度やって来た台風のお陰で慈雨に恵まれた。 ホウレンソウなどの種蒔がやっとできた。

 しかし、前の台風ではトマトハウス一基が破壊されてしまった。

 板橋のマコチャンが整地してくれた畑に、タマネギが移植された。 雨を待っていてくれたマコチャンが、一人でやってくれた。 苗は、我が家で育てた赤と黄色の2種類である。

Photo_3 お馴染みの下の畑である。 この畑の整地もマコチャンとSさんの働きによる。 マコチャンが耕運機で耕していた時、 『マーチャン元気になってよかったね!』と隣の畑のOさんが声をかけてくれたという。

 Oさんはマーチャンの同級生のお姉さんである。 マコチャンもタマネギの植え方を教えてもらったという。 「タマネギの根を丁寧に植え込んでやればいいんだよ!」 来年の初夏には、見事なタマネギができそうである。

«小松坂の道路工事

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30