« サボテン | トップページ | 電話ボックス »

2008年1月25日 (金)

バナナ

Photo_2  新鮮なバナナが目にとまりましたが まだ食べるには早そうです。 パソコンが途中できれる状態になりました。 暫くブログが途絶えそうです。

 中学生の時 子ウサギで稼いだ小遣いをポケットに入れて 土浦の花火見学にやってきました。 『 サー安いよ!正真正銘の台湾バナナだよ! 買った買った!!』 裸電球が煌々と照らし出した 屋台の前で捻り鉢巻のおじさんが バナナのたたき売りをしていました。 汽車賃と映画代で減った小遣い 焼きそばと帰りの汽車賃とをにらみ合わせて 恨めしそうに眺めていました。

 戦争前後のまともな義務教育を受けていなかった 欠陥マーチャンは やっと入った高校を卒業して 常磐線の赤塚駅のホームに降りていました。 ここから石塚までの 大小まばらな客車を連結したジーゼル機関車が走っていました。 上水戸=曙町=大学前 ここの渡里町に 文理政経・教育学部〔2年短期も含めた〕それに2年間は一緒の工学部・農学部からなる新制の茨城大学がありました。 駅弁大学といわれたこの学校も 私立大学の少なかった関係か1000人近い学生がいました。 落ちたら東京の文房具屋に丁稚奉公する予定でした。 

 親父は日本通運水戸支店の営業課に勤めていました。 当時は 米麦の貨車やトラックによる輸送業務を受けて忙しいところでした。 日立や古河など県内の地区通運によく出張してがんばっていた姿にあこがれて 無理を承知で明大の商科を望み 茶封筒に入った厳封された内申書ももらっていました。 おふくろが亡くなったこの頃は 経済的にも厳しい時でした。 『 そんな余裕がないだろ!』 親父の一言で選んだのが教育学部でした。 樺太から6年生に編入した小学校に 叔母が教鞭をとっていました。 一年生を担任していたので、地域の人望は厚かったようですが マーチャンにとっては目の上のこぶでした。 何かあるとおじいさんに言いつけられて おちおち悪さもできませんでした。 中学校まで引きずっていました。 だから 先生のイメージはよくありませんでした。

« サボテン | トップページ | 電話ボックス »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

始めまして、只今非常に良い記事を拝見致しました、有難う御座いました。
今後も、全て頑張って下さい。

鈴木様 ブログ訪問ありがとうございます。 思いつきの回想録ですが読んでいただけたら幸せです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バナナ:

« サボテン | トップページ | 電話ボックス »

無料ブログはココログ
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31