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2008年10月

2008年10月31日 (金)

三陸鉄道北アリス線

PhotoPhoto_2  三陸鉄道北アリス線の久慈駅に着きました。 レトロブームに乗って、岩手県が中心となった第三セクターの鉄道です。 宮古駅に向かって、3両中2両に観光客を乗せて発車しました。 譜代駅で観光客を降ろすと乗客はめっきり少なくなります。

Photo_3Photo_4  運転席そばから単線のための到着列車を待ちました。北アリス線は、リアス式海岸を走るためほとんどの区間は長いトンネルが続きます。 うれしいことに、海岸線の展望できる絶景ポイント2箇所では列車をしばらくの間停車してくれました。 マーチャンはじめ観光客は大喜びでカメラのシャッターを切っていました。

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 大阪から来た団体と一緒になりました。 マーチャンのお兄さんにあたる方と親しく会話を交わしました。 昨日は雨の奥入瀬渓谷を巡ってきたそうです。

2008年10月30日 (木)

岩手山

Photo  新幹線はやてに乗って、盛岡駅に着きました。 お決まりの「三陸海岸縦断 2日間」ツアーです。 盛岡市は人口約30万人の県庁所在地です。 南部のお殿様が盛岡城を築いて、後に伊達家と対峙することになりました。 標準語に時々東北訛りの混じったお話をする、バスガイドさんに迎えられました。

Photo_2Photo_3  郊外に入って間もなく 岩手山 が見えてきました。 奥羽山脈北部の標高2,038mの複式火山です。 岩手県最高峰の山です。 何度も引用している石川啄木の想い「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」を復唱してしまいました。 コンバインで、稲刈りをする時代になりましたが、この辺ではわずかに稲刈りの跡が見られました。

Photo_4Photo_5  初日バス走行距離約238キロメートルの入り口のドライブインに入りました。 盛岡駅で買ってきた「めのこ飯」を開いて、ひとり海産物の入った混ぜご飯を頬張っていました。 老夫婦・親子(お母さんと娘)などのツアー仲間と、おしゃべりマーチャンはまだ会話がありませんでした。

2008年10月29日 (水)

日の出

Photo_3Photo_4  宮古市田老町の外房にある仁王岩付近の 日の出 です。 宿泊先のホテルから早起きしてデジカメとやってきました。 人気のない午前6時ごろの海岸線はひんやりとしていました。 マーチャンはこの大自然を独り占めできて大満足でした。

Photo_6  6月に佐渡で夕日を撮ったとき、同宿した神戸の写真同好会の先生にならって「朝日に映える波」? を撮りました。 

Photo_7  外房から半周して、田老町の漁港に戻ってきました。 リアス式海岸特有の入り江です。  漁船が2艘勢いよく出港していきました。 近くの製氷所には、軽トラックが集結していました。  田老漁港の夜明けがやってきました。

Photo_8Photo_9  1958年(S、33)に完成した高さ10メートル、総延長2,433メートルの防潮堤です。 明治・昭和三陸地震では、地震発生後約30分で15メートルくらいの大津波がこの地を襲ったそうです。 昭和8年の津波では、人口の42%にあたる763人が亡くなり、家屋も98%流され更地同然の姿になってしまったそうです。 この防潮堤は、全世界にも知れ渡り、チリ地震津波のときは、被害を最小限に食い止めることができたそうです。

2008年10月26日 (日)

桜川2

PhotoPhoto_2  常磐線土浦駅の東側一帯の眺めです。 ウララがまじかに見えました。 東部ガスのタンクが密集地に建っています。 常磐線下り列車が駅のホームに入っていきます。

 昭和18年10月26日、ちょうど64年前 この辺りで列車の三重衝突事故が起こりました。 マーチャンの従兄のSさんがそのあおりで桜川に客車もろとも没して亡くなりました。 前にも一度その時の慰霊碑について投稿しました。

 早稲田の学生だった彼は、学徒動員で一時帰省する途中の出来事でした。 ちょうど祖母たちと帰郷するはずでしたが、友人との別れを惜しんで、一列車遅らせたそうです。 人生の岐路というか、宿命とは奇異なものがあります。 Sさんの兄は、従兄会の会長として今でも元気に過ごしています。

Photo_3Photo_4  夕方、国民宿舎の駐車場にマイカーを置いて、桜川の土浦入りへやってきました。 筑波山を眺めながら釣り人がタナゴ釣りをやっていました。 きれいな水にだけ生息するタナゴです。 在職中県南の教職員が集まって開かれた会場のサンレイク土浦が見えます。 今は有料老人ホームとなっています。 明日から2日間ブログをお休みいたします。

2008年10月25日 (土)

桜川

PhotoPhoto_2  桜川に架かる橋のたもとに来ました。 この先間もなく霞ヶ浦への土浦入りとなります。

 縄文時代、土浦の現在の低地は海だったようです。 周辺の台地に多数の貝塚が存在していることから推測できます。 マーチャン農園の市役所に面した傾斜地に、土器や石器の欠片が出てきますので、この辺にも原住民が生活していたのでしょう。

 当時の桜川の川筋は、現在は埋め立てられた川口だったようです。 永山正著「土浦の歴史」によりますと、土浦城の城主だった土浦郷の若泉三郎が、1459年から3年間かけて、桜川下流の河川付け替えを行ったといいます。 その100年後の1613年に水戸街道に沿って銭亀橋が架けられました。 

 下高津の街道沿いには、当時使われていた井戸などの遺構が残っています。 桜川の下流はその後も変遷して、現在の土浦入りとなっています。 マーチャンが土浦の学校に勤めた頃は、銭亀橋は木造造りの太鼓橋でした。 川口港にも同じような橋がありました。 この橋は埋め立てられて四車線になってしまいました。

Photo_3  桜川の土手に桜の大木が見られました。 匂い橋のあたりに、桜の老木があったころ、土浦の花火大会がこの周辺で行われていました。 マーチャンがウサギで稼いで、花火見物にきた頃の方が豪華なスターマインより夢がありました。

2008年10月24日 (金)

PhotoPhoto_2  町内の広場のモクセイが満開を迎えました。 すぐ下の空き地にも咲いています。 モクセイが咲きだすと秋の到来を感じさせます。 咲いているあいだじゅう強い香を放ち、花が散ると木の周りは金色のじゅうたんを敷きつめたようになります。

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 散歩道の途中で見かける柿です。 「桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年」 思わず口ずさんでしまいました。 食糧難の時代は、柿も貴重品でした。 渋柿を頬張って苦い体験をしたものでした。 最近はカラスが群がって、おいしそうに食べています。

 実りの秋も、今年は暖冬の兆候が見られます。 マーチャンブログは、秋の気配がするのでしょうか。 「無理に投稿しているのがありありだよ!」監視役の娘と家内が電話で語り合っていました。

2008年10月23日 (木)

カマキリ

Photo  屋根の塗装のため組まれた足場に、カマキリが現れました。 マーチャン農園にはカマキリやコオロギ・バッタの仲間が宿っています。 イソップ寓話に出てくるアリやキリギリスなども見かけます。 

 カマキリは前足が鎌状に変化し、クモなど他の小動物を捕食する肉食性の昆虫です。 獲物が少ないと共食いすることもあるといいます。 メスのほうがオスよりも大きいため、メスがオスを食べてしまうことがあるそうです。

 メスは交尾後多数の卵を比較的大きなスポンジのような卵鞘の中に産みつけます。 卵鞘は卵と同時に分泌される粘液が泡立ってつくられます。 今年もラッカセイの茎に沢山付いていました。 春先になるとこの卵鞘から数百匹のカマキリが巣立っていきます。

 マーチャン農園の片隅の湿ったところの置物を動かすと、真っ赤なムカデが現れます。 ボールペンくらいな太った大きなムカデは、迫力満点です。 可哀想ですがスコップで切断されてしまいます。 ゴキブリなどを捕食するので、家屋にも現れることがあるので要注意です。 噛まれたら大変です。 夏の間の農作業は、麦わら帽子に網をかぶせて、藪蚊やハチを防ぎ、軍手にビニールの手袋を重ねて作業をしています。

2008年10月22日 (水)

ショッピングセンター

PhotoPhoto_2  上高津の6号バイパスの下に、来春オープンするショッピングセンターの建設が急ピッチで行われていました。   下館に向かう途中の下妻市にあるショッピングセンターと同じような大型店舗です。 この辺りの道路は、つくば市へ抜ける交通量の少ない近道ですが、今度は混雑しそうです。 世界的に不況の波が襲ってきましたが、来春のオープンがどうなるか注目です。

 土浦生まれの土浦育ちだった、沼尻墨僊は、土浦城下町の様子を克明に記録に残しています。 一軒一軒のお店の紹介も興味深いものがあるといいます。 

 墨僊は「天章堂」という寺小屋を営み、県内各地から延べ515人の子供たちが親戚の家などから通学したそうです。 子供たちが興味関心を持っていた、季節の移り変わりなどの自然現象の質問に答えるために、有名な「傘式地球儀」を考案したのだろうと、土浦博物館の木塚学芸員が話していました。

 講座の中で、一番興味をもった話はお伊勢参りでした。 71歳の墨僊は、友人1人と・若衆2人をお供に出かけました。 お伊勢参りが終ると奈良・京都・大阪・熊野などを2か月以上かけて行脚してきたそうです。 彼は「西杖日記」に旅の様子を克明に綴っています。 唐様の書き手として、また絵も堪能だった彼は、旅先で乞われて掛け軸を書いたり、お祭りの大きな幟なども書いてあげたそうです。  

 郷土の偉人沼尻墨僊については、来春土浦博物館で記念の催しを計画しているそうです。

2008年10月21日 (火)

湖畔の街

Photo  霞ヶ浦総合公園の中で見られる湖畔です。 対岸のかすみがうら市が遠く望まれます。 早朝だったので、湖面は鏡のように輝いていました。 やがて冬を迎えると筑波おろしの寒風が吹き付け波立つことでしょう。

Photo_2  少し東に進むと。対岸に阿見が見られました。 堤防近くで、釣り人が見られました。 ワカサギやフナなどが釣れるようです。 マーチャンも釣りでもやってのんびり過ごした方が幸せかもしれません。 成田空港ができる前、霞ヶ浦も国際空港の建設予定地になりました。 地盤の関係でしょうか、中止になりました。 もし実現していたら、こんな静かな環境は見ることができなかったでしょう。

Photo_3  土浦第三高等学校の丘がそびえています。 この下には霞ヶ浦高等学校のある文教地区です。 マーチャンが高校生の時、市営野球場で応援に駆り出されました。 対戦相手のエンジカラーの土浦三高のチームは強敵でした。 応援合戦でも圧倒されていました。 最近は、私立高等学校の台頭で様変わりしてしまいました。

Photo_4  ウララと筑波山が重なって見えるところに立ちました。 土浦市内の学校に勤務し、定住するようになって半世紀がたちました。 昔の土浦は文字通り県南の中心都市でした。 石岡や牛久方面から買い物客が集まってきて、駅前通りは賑わっていました。 先日、匂い橋を渡って市内まで散歩しました。 いたるところに貸店舗の札が掛っていて、以前沢山あった飲食店は姿を消していました。 しかし湖畔の風景は栄枯変わらぬ佇まいでした。 

2008年10月20日 (月)

競走

Photo  開会式で全員が集合しました。 来賓のみなさんも勢揃いしました。 その中にマーチャンより3級後輩のKさんやもっと若いN君もいました。 地区長や体協の理事長を務めています。 若い頃は、剣道やバスケットボールで活躍したスポーツマンでした。 近寄って、あいさつを交わしましたが、すっかり年輪を刻んでいました。 昔の思い出しか残っていなかっただけに時の流れをしみじみと感じました。 先方も同じような感想を抱いていたことでしょう。

Photo_2  競技種目が始まりました。 庭掃除競争で3位に入りました。 賞品を写メールで娘たちに送りました。 麻箒でバレーボールを掃きながらポールをまわってくる競争でした。 マーチャンはアンカーで、ゴールしました。

 午後2番目の種目は、ケツ圧測定競争でした。 トラックを4人で2周します。 中間点にマットが置かれていて、風船がありました。 この風船をお尻で割ってタスキをリレーするのです。 先頭は一高同窓のMさんです。 一番期待されていたMさんは風船割りに手こずってつまずいてしまいました。 アンカーのマーチャンに引き継がれました。 夢中で風船を割り駆け始めました。 数メートル先にいた人を追い越すため、自分でも信じられないスピードで、ゴール寸前で追い抜きました。 場内放送で実況される健闘ぶりで2賞となりました。 年をわきなえず、無茶な競争でした。

 あまり自慢できたことではありません。 どの競争種目も13組あるのですから。 その日のうちに五体の痛みが走りました。 3日間は、畑仕事も軽いメニューとなりました。

2008年10月19日 (日)

運動会

Photo  霞ヶ浦総合公園内にある体育館に来ました。 高齢者スポーツ大会に初めて選手となり出場するためです。 町内の長寿会に加入することになったため、草取りやスポーツ大会ににも活躍の場が回ってきました。

Photo_2Photo_3Photo_4Photo_5  あわただしく誘われて、会場に来ましたが、1時間半も早く着いてしまいました。 マーチャンは例によって、デジカメをぶら下げて周辺のスナップを撮り始めました。 快晴の朝とあって写りも鮮明でした。 土俵・風車・霞ヶ浦は人もまばらで冴えわたっていました。

Photo_6Photo_7Photo_8  やっと受付が始まって体育館へ入場しました。 高齢者の 運動会 の開会式です。 ゼッケンをつけたまま列を離れて、二階に登りパチパチ始まりました。 担任の先生がいたら「こら!勝手な振舞けしからん!」とお目玉をもらう所です。 市長さんが長々とお話していました。 土浦市内では高齢者が5~6千人いて、この会場には1300人くらい集まっているそうです。 マーチャンの運動会参加は、何十年ぶりになるでしょうか。

2008年10月18日 (土)

緑肥

Photo  土壌の表層の土は、有機物の量が多く農業生産の高い土です。 冬の間乾燥して、筑波おろしの強い風でこの表層の土が土埃となって失われてしまいます。 マーチャン農園の真下には人家があり、その土埃で迷惑しています。 茨城大学農学部の小松崎先生の講話で、写真のような緑肥を植えるといいことを教えられました。

Photo_2  さっそくハクサイの畝の間に 緑肥 を播きました。 冬の間、この草が伸びて表層土を風から守ってくれます。 そして来年の春に耕運機でかき混ぜてやると夏作物栽培にもよいということでした。 クリムソンクローバは、赤い花をつけて環境美化にも役立ちそうです。 でも、来年の畑がクリムソンクローバだらけになってしまいそうな心配もあります。

Photo_3  トマトハウスが連立していたこちらの畑も、ご覧のとおり秋から冬にかけての野菜畑となりました。 インドネシアでは、家庭菜園が盛んで食料の持続的供給に貢献しているといいます。 マーチャン農園の野菜たちは心にゆとりを与えてくれます。 また、二酸化炭素を吸収してくれて温暖化防止に貢献してくれているはずです。

2008年10月17日 (金)

ペットショップ

Photo  等々力駅に向かって歩いていたら、ペットショップ に当たりました。 思わず店内に入っていました。

Photo_2Photo_3Photo_4  いろいろな猫や犬が陳列されていました。 ニャン子は、エチオピア産で10数万円もします。 ワンちゃんも同じように高価でしたが、いたずら坊のワンちゃんは6万円台でした。 夕食時で、内側の飼育担当のおねいさんの方ばかり向いていて、写真を撮るのに苦労しました。 愛情豊かな飼い主に巡り合えるといいですね。

Photo_5  大井町駅のビルで、長女夫婦と合流しました。 夕食を一緒にするはずでしたが、マーチャン一行はお腹がいっぱいです。 軽食のお店をさがしに、駅ビルを出ることになりました。 マーチャンは先頭になって、長いエスカレーターに乗りました。 上で仲間が騒いでいます。 「お父さん臨界駅のホームに向かっちゃったよ!」 お上りさんならではの猪突猛進です。

 「お父さん大丈夫!」長女が救助のためついてきてくれました。 長い登りのエスカレーターで、一行に合流しました。 セルフサービスのお店に入って、いろいろなお好みのパンと飲み物の夕食をとりました。 気の毒な娘夫婦は、それでも「御馳走さま!」と言ってくれました。 途中で、子どもたちと別れて、常磐線はゆりかごのような、うたた寝の場となりました。

2008年10月16日 (木)

等々力不動尊

Photo  急な石段を登りきったところに 等々力不動尊 がありました。 お賽銭の割には、縁結び・子宝・健康などいくつものお願いをしてしまいました。

Photo_2Photo_3Photo_4Photo_5Photo_6  不動尊本堂への道すがら、いろいろの拝見個所がありました。 稲荷堂・不動の滝は、如何なる干ばつにも涸れず「修行の道場」として、今に受け継がれてきたそうです。 

Photo_7  歩きくたびれて、陸に上がってきたところにスパゲテー店がありました。 夕方なのにランチ3点を注文して、分けて食べました。 久しぶりにおいしく頂きました。

2008年10月15日 (水)

等々力渓谷

Photo_2Photo_3  大井町線の等々力駅を下車して、世田谷区用賀から多摩川にそそぐ谷沢川下流の約1kmの渓谷に向かいました。 東京23区内で、環状線が走る都会の直下に緑の樹木に覆われた涼しい別天地がありました。 昼でも暗いこの地はデジカメで撮るのが困難でした。

Photo_4  谷沢川の岸に遊歩道が完備していました。 天井の樹木から、太陽の光がこぼれてきました。 休日だったためか大勢の観光客が入り混じっていました。 涼しいのは良かったのですが、雨上がりで遊歩道がぬかるんでいたり、藪蚊が甘い汁を狙っていて油断できませんでした。

 入口には、「大雨の時は立ち入りをご遠慮ください」の立札がありました。 出入り口が何か所もあるので、安全管理が難しいことでしょう。

Photo_5  先住民の横穴住居跡がありました。 入口は、透明板でふさがれていましたが、中には玉砂利が敷かれていました。 この辺りで大昔の人たちは動物を狩って生活していたのでしょうか。 マーチャンの畑にも、土器のかけらや石器が出てきます。 何か親しみを感じて、しばらくじっと見つめていました。

2008年10月14日 (火)

二子玉川

PhotoPhoto_2  東急大井町線に乗って、二子玉川の娘に会いに行きました。 昔は、田畑が見られたこの周辺は、各駅とも発展し多くの人々がごった返していました。 大岡山駅はいつの間にか地下ホームに変わっていました。 二子玉川の駅に着きました。 海岸線側に起重機が多数林立して、大きな開発が進んでいるようです。

Photo_3Photo_4  駅を降りて高島屋の通りに出ました。 相変わらず人の流れで混雑していました。 携帯で到着を告げましたが、娘は迎えに来ません。 リックを背負ったお上りさんが、交差点に止まって写真を撮りました。 高島屋内では、ゆったりとしたソファーに体をうずめて、女性の買い物の待ち合わせをしていました。 この上層の4階は食堂で埋め尽くされていました。 日本の食文化というか商業も、ここまで来たかといった思いがしました。

2008年10月13日 (月)

秋の種蒔

Photo  久しぶりにマーチャン農園の畑です。 ナスやピーマンの後片付けが終って、耕運機をかけました。 その長い畝にソラマメとホウレンソウを3列植えました。 ソラマメは、シャベルの長さの間隔でお手伝いのHさんに播いてもらいました。 しゃがんでやる仕事は見た目より大変です。 大助かりでした。

Photo_2Photo_3  この畝には、つい数週間前まではナスやピーマンの実をつけていました。 

 季節の移り変わりは、野菜ばかりではなく雑草にも見られます。 冬に向けての葉物には、ホウレンソウ・タカナ・カラシナ・ハクサイ・レタス・コマツナ・チンゲンサイなどがあります。 またダイコン・カブ・ニンジンなどもこれからです。

 サトイモ・サツマイモ・ヤーコンの掘り起こしもこれからです。 結構労力が必要で大変です。 ヤーコンの球根はすぐに植え込むことになります。 イモ類は、穴を掘って稲藁をかぶせて寒い冬を越すことができます。 種類が多いだけに、四季を通しての農作業は続きます。 先の講座で、昔は冬の間麦を栽培し 春にその藁が土に還って土壌を保ってくれたという説明がありました。 ホウレンソウは食べてしまうので、その働きをしないので、畝の間にクローバーなどの草を植えてやるといいそうです。 どうしようかな?

2008年10月12日 (日)

小松坂上

PhotoPhoto_2  長年慣れ親しんだ、小松坂上の交差点がついに変更されました。 以前にはこの交差点に火の見櫓がありました。 土浦駅東口に通じる四車線工事の一環で、この先に片側2車線が霞ヶ岡交差点からつながれました。

Photo_3  片側2車線で、上下の車の流れを作っていますが、やがて左側に2車線がつくられると完成です。 新しく広い道路ができることは便利な事ですが、朝夕交通渋滞した小松坂上の道路が思い出として残ることとなりました。

Photo_4  交差点の先を下って、小松の備前川にやってきました。 レークタウンに立つマンションがどっしりと建っていました。 備前川にゴンドラを浮かべたらベニスの面影がうかがわれないでしょうか。 毎日散歩していると同じコースでもいろいろな違いにきずきます。

Photo_5  マーチャンの家の庭でも変化がありました。 ムラサキシキブの花が見事に咲きそろっていました。

Photo_6Photo_7  ザクロの木が年ごとに成長し、実も大きくなってきました。 近所の人がザクロ酒をつくるといってもらってくれていました。 終戦直後、マーチャンの家から7~8キロあった宍倉のおじいさんの実家に行ったことが思い出されます。 リヤカーを引いて砂利道を行きました。 昔村長を務めた家だけあって、白壁の塀に囲まれた旧家の大黒柱の広い部屋が印象的でした。 ザクロや柿の古木に登って、大きな実を麻袋にたくさん詰めてきました。 食糧難の時代でした。

2008年10月11日 (土)

さらば尾瀬

Photo  沼山峠口近くの展望台に辿り着きました。 尾瀬ケ原と尾瀬沼の二つのツアーがあって、どちらを選ぶか義兄に相談したら 「坂登りが辛かったら、展望台で引き返せばいいから・・」 と言っていたところです。 マーチャンは、あの沼まで行ってこられた満足感に慕っていました。 同行した水戸の私立高校の先生たちが、この地で一服していました。

Photo_3  マーチャン一行は、軽油で走る低公害バスに乗り込みました。 下り坂の両側には紅葉が始まった木々が目を楽しませてくれました。

Photo_4Photo_5Photo_6  再び、夕やみ迫るブナ林が開ける場所で、バスが停車してくれました。 「さらば尾瀬」 最後の景観でした。

Photo_7Photo_9  山の駅御池口につきました。 午後5時をまわっていました。 夏の思い出の歌詞の一節「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 野の旅よ」を口ずさみながらバスに乗り込みました。 那須・塩原・宇都宮経由で、午後10時半に郷里につきました。 

2008年10月10日 (金)

尾瀬沼散策2

Photo_7  「尾瀬に何泊もしてきたのですか?」 教え子のHさんがブログを見て言いました。 誠に恐縮ですが、日帰りの尾瀬 しかも尾瀬沼の一角しか見てこないのに長々と投稿しています。 長蔵小屋の裏に薪が積んでありました。 帰り道、今夜一泊する団体に会いました。 明日は、尾瀬ケ原方面をめぐるそうです。

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 ヤナギランの最後の雄姿です。 葉が柳の葉に似ていて、花はランに似ている草花です。 羽毛のようなものに包まれた種子は風に運ばれて、繁殖するようです。

Photo_9  物知りの添乗員さんに聞きました。 オオバカメノキだそうです。 赤く紅葉していました。

Photo_10Photo_11  帰り道、大江湿原の入り口に三本杉がさわやかに伸びていました。 草紅葉と大江川の大平原に、際立った景観を見せていました。

2008年10月 9日 (木)

尾瀬沼散策

PhotoPhoto_2  午後2時ころ、尾瀬沼の長蔵小屋そばの湖畔でおにぎり弁当にありつけました。 さわやかな風のもとで、燧ケ岳を眺めながらおいしくごちそうになりました。 同行のOさんは2台のカメラを三脚につけて、盛んにシャッターを切っていました。 県展に入選しているベテランです。

Photo_3  立ち入り禁止の朽ちたボート発着場です。 ここからの燧ケ岳のスナップは、最高でした。 先日のブログにのせた写真です。

Photo_4  湖岸に魚の群れが集まってきました。 観光客が餌付けしたようです。 フナの仲間でしょうと教えられました。

Photo_5Photo_6  見事なナナカマドが、湖岸に向かって枝を伸ばしていました。 真っ赤な見事な実をつけています。 野鳥がまだやってきていませんでした。

2008年10月 8日 (水)

尾瀬沼と燧ケ岳

PhotoPhoto_2  絶好の晴天に恵まれて、尾瀬沼と燧ケ岳 が浮き立っていました。 標高1650mの尾瀬沼から、そびえ立って見える燧ケ岳は山頂が他の山と違って複雑な形をしていました。 大小5つのピークを持ち、山頂付近には、噴火口がいくつか見られるそうです。 まだ形が崩れていない新しい山でもあります。

 右側は粘り気の多い溶岩でできた昭和新山タイプ、左側はそれよりも粘り気の少ない富士山タイプの形をしています。 燧ケ岳誕生の歴史が伺われます。

Photo_3  話題が変わります。 マーチャン夫婦に思わぬお友達ができました。 尾瀬沼の湖畔で、写真のシャッターを切ってあげたのが気かっけです。 土浦からの同行の仲間でした。 ここから沼山峠までの登り道、思わぬ若さをもらって、足取りも軽く帰途につきました。 ところがです、肝心の急な坂道にさしかかったころ、二人に置いてきぼりにされてしまいました。 翌日写真を焼き増して、二人に届けました。 お礼の電話が来ました。 マーチャンは冗談交じりに恨み辛みを語っていました。 「またご一緒しましょうね!」との返信でした。

2008年10月 7日 (火)

大江湿原

PhotoPhoto_2  尾瀬沼に通じる 大江湿原 に降りてきました。 一面草紅葉の湿原となっていました。 尾瀬沼に次ぐ大きさの大江湿原は、尾瀬沼より高い標高1665mで、湿原化していく様子が伺われるところだそうです。 7月下旬にはニッコウキスゲが咲きそろうそうです。 ネーチャセンターでそのパネルを覗いてきました。

Photo_3Photo_4Photo_5Photo_6Photo_7  目の前にヘリコプターが飛来してきました。 木道の取り換え作業中でした。 700キロくらいの材木を運んできて、帰りには廃材を撤去していました。 昭和40年代に入って、尾瀬沼の環境が入山者の増加で、ピンチになったそうです。 東電などが中心となって、木道が設置されて尾瀬沼は救われたそうです。

 新しい木道を通って、右手に燧ケ岳を眺めながら進みました。 木道は20年間はもつそうですが、マーチャンにとっては最初で最後の道を踏みしめていました。

2008年10月 6日 (月)

宿木

Photo  ダケカンバの高木に、ナナカマドが宿木と同じに生えていました。 樺太・千島・沿海州などの寒冷地に自生するダケカンバが、高地の尾瀬にも見られました。 ナナカマドは、秋には紅葉し、赤い実をつけていました。 鳥たちの食用になってくれそうです。 ナナカマドは大変燃えにくく「7度かまどに入れても燃えない」ということからその名がついたといいます。

Photo_2Photo_3ダケカンバとナナカマドの根元から、梢までカメラを向けました。 落葉広葉樹の2本の高木は、仲良く太陽の光を求めて、頭上高く枝葉を伸ばしていました。

 延々と続く下り坂を通って行きました。 帰りは上り坂になるのです。 この辺りでへこたれてはいられませんでした。 時々、大勢の団体客とすれ違いました。 「こんにちは! 尾瀬沼はもっと先ですか?」と語りかけました。

Photo_4Photo_6  カラマツの倒木でしょうか、手付かずのまま放置されていました。 やがて朽ち果てて、コケやキノコが生えそうです。 そして大地に還って、新しい命を育ててくれることでしょう。 手つかずの自然がここにはあるのです。

2008年10月 5日 (日)

沼山峠

Photo  低公害車で標高1700mの 沼山峠 へ向かいました。 周りの木々がかすかに紅葉していました。

Photo_2  いよいよ尾瀬への入山です。 超ベテランの女性添乗員Kさんの指導で、ストレッチングが行われました。 Kさんは、幼いころから尾瀬などの自然を歩いてきたそうです。 動植物に詳しく、特に野鳥の鳴き声を言葉にして話してくれました。 高校の生物の先生のようでした。

Photo_5Photo_6Photo_7Photo_8  木道を登り始めました。 マーチャンは上り坂が苦手です。 先頭に立って無理してダッシュしました。 みんなを離して、ゆとりができたので、森林に目をそそぎました。 ジャンパーを脱いでちょうどいい、すがすがしい空気でした。 今はやりのマイナスイオンいっぱいの自然でした。 

2008年10月 4日 (土)

ブナ林

Photo 尾瀬の6つの入り口の一つ、御池口にやってきました。 土浦を6時10分に出発した観光バスが、山の駅御池に着いたのは正午を過ぎていました。 標高1500mのこの地は、快晴にもかかわらずひんやりとしていました。 尾瀬への道は、昭和43年に若き自衛隊員の力と汗によって、9500m切り開かれたそうです。

 一行はこれより、低公害車に乗り換えて沼山峠口に向かいました。

Photo_2Photo_3  感じのいい地元バスの運転手が「左手の ブナ林 をご覧ください」と言って車を止めてくれました。 マーチャンはバスの窓を開いて写真を撮りまくりました。 白神山地でブナ林を散策し、幹に耳をあてて鼓動を聞いた思い出のブナです。 今日はそのブナ林の群落をを真下に見下ろしているのです。 先週の講座で、温暖化の影響で「このまま温暖化が進むとブナは消滅してしまいます」と言われたことが気になりました。 ミカンやリンゴも北上しています。 稲も北海道の環境が最も良くなってくるといいます。 悲しく寂しい話題となってしまいました。 

2008年10月 3日 (金)

夏の思い出

Photo  夏の思い出の、歌詞とメローデーが懐かしく印象に残っていた尾瀬に初めて訪ねてまいりました。 秋の思い出の尾瀬沼と燧ヶ岳の絶景です。

 尾瀬を代表する燧ケ岳は、秋空に映えてすがすがしくそびえ立っていました。 東北地方最高峰の2,356mあるそうです。 燧ケ岳の噴火によってできた尾瀬沼は、日本でも有数の高地にある湖の一つだそうです。

 周囲には小沼や多数の湿原があり四季を通して素晴らしい風景が楽しめるそうですが、きょうの大江湿原は草紅葉で覆われ秋の到来を告げていました。

 明日から、しばらくの間尾瀬ハイキングのリポートにお付き合いいただけたら幸せです。 今宵は旅の疲れで、休ませていただきます。

2008年10月 2日 (木)

特老

Photo  特別養護老人ホーム の前を散歩で訪れました。 近所のおばあちゃんがお世話になっています。 やがて、マーチャンもお世話になるような気がします。 おやじの老後の看護では、姉が一生懸命努めてくれました。 認知症が進んで、きょうだいで施設への入所を真剣に考えました。 しかし、病院へ入院することになり病院生活となってしまいました。

 おやじのように、健康で長寿を迎えるためにはどうしたらよいか考えなければなりません。 「マーチャンは、畑仕事をやって、ブログを続けていれば認知症を防げるよ!」と気休めを言ってくれる人がいます。 そんなわけではありませんが、ボランテアの3人の協力を得て、畑仕事を続けています。 また、ウララの生涯学習センターで、いろいろな講座を受けています。 「四十の手習い」と言いますが、その倍近い年になって、習字の講座を受けています。 同年輩の先生に、添削を受け赤丸をもらって喜んでいるあたり幼児に帰っているようです。

Photo_2Photo_3  マーチャン農園の今は、秋野菜が成長してききました。 夏野菜の整理も進んできました。 実りの秋を迎え、収穫作業と合わせて、ソラマメ・ホウレンソウ・タカナ・スナックインゲンなどの種まきも間もなくです。 マンネリ化にならないよう、改善工夫を考えています。

2008年10月 1日 (水)

カジュマル

Photo_3Photo_4  先月は大型の台風が、2回にわたって日本列島を襲いました。 台湾で大きな被害を与えた後、Uターンしてやってきました。 そのコースには与論島も入っていました。 

 与論島へ数年前梅雨の終わりに訪れました。 緑を帯びた海原は、静寂そのものでした。 しかし、台風の備えが島内の至る所で垣間見ることができました。 写真のカジュマルもその一つでした。

 (町木カジュマル) 熱帯性の常緑樹で、与論島の至る所に見られる島最大の樹木である。 カジュマルは家屋の防風林となり、葉は牛馬の飼料、枝や幹は薪、そしてその木陰は憩いや作業の場として島民の生活と密着してきた植物である。 岩をも抱きかかえ、どっしりと大地に根を張り、四方に茂る雄大なそのさまは、島の人たちの生きざまのシンボルでもある。

 観光植物園に掲示されていた、カジュマルのお話でした。 マーチャンは3日間、カジュマルのように、おおらかで親しみ深い島民の方々の人情に慕ってきました。

 最近、東南アジアの国々では、防潮林を兼ねるマンゴーなどを切り倒してエビの養殖をおこなっているようです。 一度切り倒された樹木は再生が困難で、沿岸の環境が破壊されているそうです。 

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