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2008年11月

2008年11月30日 (日)

大徳

Photo  まちかど蔵の大徳さんです。 昔の隆盛を極めた記録写真です。

Photo_2Photo_3  大徳さんに残されたお宝ものを、代わる代わる展示しているそうです。 お店ののれんと、時代映画に出てくる昔のレジスターです。 手回しだったようですが、今でもお店にあるレジスターのご先祖様です。

Photo_4Photo_5Photo_6  陳列されていた時代ものとなったお宝です。掛け軸・行灯など映画の時代劇に出てくる時以外見られなくなりました。

2008年11月29日 (土)

自然公園

Photo  那珂川に架る大橋のたもとの赤沢公園は、河川敷を利用しています。 キャンプやカヌーそして釣りなどを楽しむハイカーでにぎわっていました。

 ここから、関東の嵐山といわれる御前山へのハイキングコースができるようです。 大橋を渡って左折し、約1キロメートル先の三王山自然公園に向かいました。 大通りから標識を右折して、かなり登ったところに昨日投稿したモミジの公園がありました。 大きな集会所や宿泊施設もあり、予約すれば利用できるようです。

Photo_2  三王山自然公園の左手には、展望タワーがありました。 タワーが大好きなマーチャンは、息を弾ませて登って行きました。 御前山県立自然公園は、面積7380haあるそうです。 標高200~380mの山々が連なるこの一帯は、水と緑の豊かな自然に恵まれていました。 展望塔からの360度開けた山々をご覧ください。

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2008年11月28日 (金)

三王山公園

PhotoPhoto_2Photo_3  お寺の近くに大宮市の三王山自然公園がありました。 モミジなどの紅葉が今が盛りの見ごろでした。 せっかくのの自然公園もマイカー10台程度で、もったいない気がしました。

Photo_4  かなり長いすべり台がありました。 木の葉が積もっていたので、最近は使われていないようでした。 「これじゃー汚れてしまうな! 滑り降りて上がってくるのは大変だろうな?」など勝手なことを言って見つめてきました。 子どもたちが小さい頃は、遊園地に行ってはブランコやすべり台を楽しんだものです。 あの頃が人生で、最も忙しくて楽しい時代だったような気がします。

 お寺の掲示板に『日常の五心』が書かれていました。 1 すみませんという反省の心  1 はいという素直な心  1 おかげさまでという謙譲の心  1 私がしますという奉仕の心  1 ありがとうという感謝の心    どうやらマーチャンは、五心を忘れかけているようです。  だめじゃ~ん!!

2008年11月26日 (水)

南嶽山 蒼泉寺

Photo  御前山の反対側の小高い山のふもとに、曹洞宗の蒼泉寺がありました。 大本山は永平寺です。 中国の宋の時代に修行してきた道元が、越前国の波多野義重の請いにより、1246年永平寺を建立しました。

 余談になりますが、マイカーシビックを購入した数年前、マーチャンは一泊二日の強行軍で東尋坊・永平寺・兼六園を訪れました。 東名・北陸・関越道を一周してきました。 一人旅のドライブでしたが、永平寺の本堂で、50人近くの僧侶の壮観なお祈りを拝観できました。 その思い出が何気なく訪れた蒼泉寺をひきつけました。

Photo_2Photo_3Photo_4Photo_5  多くの檀家の方々の寄進で整備され、お寺には大宮市の史跡に指定されている壁画などがあるようでした。

Photo_6Photo_7Photo_8  六地蔵のお話です。 衆生がその業によっておもむく六種の世界、六道。 その六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道) のそれぞれに現われて、衆生の苦しみを救う六体の地蔵菩薩です。

 可愛らしい子坊主がお庭のお掃除をしています。 『 掃けば散り 払えばまたも 塵りつもる  人の心も 庭の落ち葉も 』 いつになったら悟りが開けるのでしょうか。

2008年11月25日 (火)

御前山2

PhotoPhoto_2  那珂川のほとりにせり出すようにそびえる御前山は、江戸時代には、水戸藩によって木々の伐採が禁じられていたため、樹齢三百年以上のマツやスギなど、豊かな自然が残っています。 山の緑と那珂川の織りなす風景が、京都嵯峨の嵐山に似ていることから、『関東の嵐山』とも呼ばれ、風光明媚なところでした。 この日も、紅葉を求めてたくさんの観光客で賑わっていました。 アユやアヤメなどの釣り場ともなっているので、釣り人も見かけました。

 一説によると、御前山の「御前」とは、奈良時代後期の女帝であった孝謙天皇のことを指すといい、寵愛していた道鏡とともに、二人がここで暮らしたという伝説が残っています。 なんともロマンスのある物語ではありませんか。

Photo_5 Photo_4  マーチャンが川岸によって、デジカメで記録写真を撮っていました。 その姿を、娘が携帯電話のカメラで写して、長女にメールしていました。 「マサル探して!」のタイトルです。 返信がありました。 「いた~!」です。 なんとも礼儀をわきまえない二人娘たちの愛情表現です。

2008年11月24日 (月)

御前山

PhotoPhoto_2  連休の混雑をさけて、近間な御前山へ行ってきました。 久しぶりに帰省したペーパードライバーの娘の運転でした。 茨城大学生のとき、クラスの仲間とこの地を訪ねました。 半世紀ぶりの御前山は、様相を一変していました。 大橋の先に見える河原で輪をつくってバレーボールに興じていました。 あの頃は、常磐線の赤塚駅からジーゼル機関車が御前山まで走っていました。 三の丸小の校長から水戸の教育長になったY君がいました。 弁論部長になった麻生のA君は行方郡の教育界で貢献し、今は孫との生活を楽しんでいます。 魅力的だった教育学部長の娘だったFさんは、気さくで親しみやすく、みんなのアイドルでした。 Fさんは、何度目かの同窓会から姿を消してしまいました。 いつも一緒だった親友のMさんから、彼女が若くして亡くなったことを聞きました。

 マーチャンの青春時代を思い出しながら、岸に一人立って思い出にしたりながら那珂川の穏やかな流れを追っていました。 道の駅「かつら」の裏側の川岸は、キャンピングカーやテントなどで賑わっていました。 若い夫婦は、大型の車に工務店顔負けのキャンピング用品を積んでいました。 バイクを2台も積んでいました。 「二人で乗り回すの?」「いいえ、後ろに乗せて走っています。」 「遠くはどこまで行ったの?」「北は仙台、南は広島まで山を求めてまわっています。」 『余暇を有効に利用して、贅沢なレジャーを楽しんでいるんですね!』

 おしゃべりマーチャンの語りかけが続きました。

2008年11月23日 (日)

亀城

Photo  亀城の異名をもつ土浦城の前川口門をくぐりました。

Photo_2  まちかど蔵のそばにあった土浦城への経路板をながめ、裁判所を右手に見ながらここまで来ました。

Photo_3  室町時代に常陸国に築かれたこの城は、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えました。 現存する唯一の太鼓櫓門が懐かしい姿を留めていました。

Photo_4Photo_5  土浦城は、幅の広い二重の堀で守る平城で天守閣は造られなかったそうです。 土屋政直が城主になり後に九万五千石を拝領した歴史については、すでにブログで書きましたので省略します。

Photo_6Photo_7  近年になって、西櫓と東櫓が市民の浄財で再建されました。 東櫓ができてからは、薪能が行われています。 城内をどこかで見知った方が、杖をついて散歩していました。 お濠の松は、この城を訪れた人々を見つめてきたのです。

2008年11月21日 (金)

続まちかど2

Photo  旧水戸街道等覚寺付近の写真です。 下高津から銭亀橋を渡ってこの地に入ってきたのです。

Photo_2Photo_3  この等覚寺には、1622年に徳川第2代将軍秀忠が訪れたといいます。 真宗大谷派の名刹で、必見は関東に現存する最古の梵鐘です。 庭で、奥さんに会い鎌倉時代の作であることを聞きました。

 文献によると、建永元年(1206)銘の銅鐘は、土浦城内にあり、代々時の鐘として用いられていたそうです。 ちなみに、宍塚の般若寺・潮来の長勝時の鐘とともに常陸三古鐘の一つに挙げられています。

Photo_4Photo_5Photo_6Photo_7  『財少なくも 足るを知る者は これ富なり』 金毘羅さんのガイドが言っていたように、このお寺にも火災を防ぐイチョウの大木がありました。

2008年11月20日 (木)

続まちかど

Photo  桜町四丁目の佐賀病院の佐賀進一さんが画いた土浦幼稚園です。 土浦の史跡を大切にし、本なども出筆されていました。 土浦小学校と隣接したこの幼稚園の周りには、思い出の塀が再建されました。 土浦小学校がまだ木造校舎だったころ、マーチャンは何回も訪ねて教職員の研修をしました。 

Photo_2  桜橋のすぐそばにある保立食堂の風景もありました。 今でも天婦羅料理の老舗のお店があります。 中学生だったお嬢さんを担任しました。 明るくて友達の多い素敵な中学生でした。 このような風景は、現在の千葉県の佐原で見ることができます。 土浦もまさに水郷の町でした。

Photo_4  桜橋から中清呉服店を望んだ写真です。 家内の解説によると、十銭瀬戸物屋さんの方向にあったとのことです。 着物姿の女性方が情緒豊かな風景を醸し出していますね。 男性の和服姿も素敵です。 最近はお正月でもこんな姿は見られなくなりました。 成人式の晴れ着姿も、派手すぎてこの当時とは様変わりです。

 

2008年11月19日 (水)

桜橋

Photo  マーチャンが高校生の時、毎日桜橋の交差点を何気なく通っていました。 桜橋 の地名のいわれなど知る由もありませんでした。 川口町育ちの家内は、指さして懐かしがっていました。 マーチャンより相当お年を召しているようです。 桜川が川口に流れ込んでいたといいますからこの辺りに川が流れていて橋が架っていたのでしょう。

Photo_2  川口町付近の懐かしい風景です。 この写真に近い風景ならマーチャンにも思い出されます。 あれから駐車場ができて、505が完成した時代の流れがありました。 高架道ができて、その下にあったお店がなくなりました。 大好きだったお焼き屋さんや、ラーメン屋さんもなくなってしまいました。

 マーチャンの両眼がリホームできました。 きのうは3時15分に入って、散瞳や麻酔の点滴をしました。 安定剤の錠剤を飲みましたが、眠気すら出ませんでした。 二度目とはいえ緊張していました。 郷土力士雅山が勝って間もなく、3階の手術室に入りました。

 手術着と帽子マスク姿の先生と看護師さんたちが迎えてくれました。 麻酔消毒で洗浄したあと眼球にまぶしい明りが注がれました。 「すぐに慣れますからね。」先生の語りかけがありました。 緑とオレンジの透明な縁取りの二つの映像が中央付近で動き出しました。 数分おきに血圧測定の帯が腕を締め付けていました。 前回はすでに終わっていた時刻なのに治療は続きました。 かなりの間、我慢比べでした。

 きょう11時過ぎお迎えの車に乗って病院へ行きました。 看護師さんに眼帯を外してもらいました。 「先生、お陰様でこの年になって、新しい世界を見させていただきました!」

 マーチャンの手術は、汚れた水晶体を超音波で吸い取った後、その隙間をふさぐように盛り上がってしまったようです。 それを取り除くため、時間がかかったようです。 昔は眼球に重りを載せて圧力をかけて防いだそうです。 先生も苦労したようでした。 きょうの結果を見て喜んでいました。 めづらしいケースのようでしたが、ありのままを説明してくれた先生が、尚一層信頼できました。

2008年11月18日 (火)

花火

Photo  まちかど蔵 大徳さんの『袖蔵展示館』にお邪魔しました。 石段を昇ると重厚な扉がありました。 この扉は、火災や盗難から貴重な品物を守ってきました。 呉服屋さんには、着物・帯・反物などが山積みされていたのでしょうか。 大徳さんのお宝ものも沢山保存されていたことでしょう。

Photo_2Photo_3Photo_4  一階の展示室には、全国花火競技大会にまつわる展示がありました。 二尺玉花火の仕組みが見られました。 二尺玉はあまりに大きいので、きれいな円形をつくるのが難しいそうです。 最近の土浦の花火は、尺玉とスターマインを打ち上げています。

Photo_5  マーチャンがお世話になっている眼科医院の駐車場から筑波山を見ました。 今日の夕刻には、残された左目の水晶体の手術があります。 2週間前に右目を新しいレンズに取り換えました。 明るさと遠くを見通す視力がつきました。 まだ残っている左目の水晶体の濁っている異常がわかります。  涙が出て異常だったので、訪ねたところ「白内障が進んでいますね」と眼科医に診断されました。 それまでは、部屋の蛍光灯が暗く感じたり、メガネを使ってもすっきりしない状態でした。 きょうが肉眼最後の使いおさめです。

2008年11月17日 (月)

まちかど蔵

PhotoPhoto_2  江戸中期、商都土浦の礎を築いた呉服商『大国屋徳兵衛家』にやってきました。 土浦をこよなく愛した沼尻墨僊は、当時の風俗の変化、祭礼や井戸の掘削などの行事を書き留めた文章や絵画、街道に居並ぶ店舗を一軒ずつ漢詩に詠みこんだといいます。 彼は町を隅々まで知り尽くした上で、土浦をこよなく愛していたのではないかと木塚久仁子学芸員が語っていました。

 この日は、成人式を迎えた振り袖姿の奇麗どころの撮影会が行われていました。 白髪交じりのマーチャンがその合間を縫ってデジカメをパチパチやっていました。 沼尻仙人の万分の一でも土浦を語るためです。 土浦もあちこちに史跡・旧跡が点在しています。

 真壁の町造りのように、これらの名所旧跡をつないで巡るコースを定着できないものでしょうか。 さびれつつある町を悩んでいるより、みんなで街の活性化を考える時ではないでしょうか。

2008年11月16日 (日)

落ち葉の季節

Photo  マーチャンブログの原点である畑にやってきました。 周りの木々が色づいてきました。 ケヤキの木でしょうか、黄色い葉が風に乗って散ってきました。 落ち葉の季節 を迎えました。 一年周期の自然現象ですが、マーチャンにとっては意味深な風景です。 樹木は年輪を重ね、より逞しくなっていきます。Photo_2Photo_3Photo_4  マーチャン農園は緑でいっぱいでした。 サルビアの赤い花が夏の名残りを告げています。

 最初に定植した白菜が結球して、食べごろを迎えました。 白菜は霜にあたると甘みを増して一層美味しくなるといいます。 白菜と大根の間にスナックインゲンの新芽がそろって伸びてきました。 周りの野菜に守られて、寒い冬に向かって成長していきます。

 春先にラッキョウとイシャレットの苗を一か所に埋めておきました。 時季遅れですが、掘り起こしてほぐして畑に定植してやりました。 一個のラッキョウの球根から3~4本の目が伸びていました。 ラッキョウとイシャレットは、Oさんから苗をいただきました。 マーチャンの師匠でもあるOさんはお姉さんのようです。 Oさんの仕事を見習って農作業をすることが度々ありました。 Oさんが頑張ってくれているので、マーチャンも頑張れるといった感じです。 先週、先輩が畑を見に来てくれました。 「こんなに畑をやっては無理だよ! やめなよ OOちゃうぞ!」思いやりの言葉が素直に聞けませんでした。 自然を楽しむことをモットーにしてきた中で、多くの人と交わることができました。  

2008年11月15日 (土)

湖畔

PhotoPhoto_2  霞ヶ浦湖畔の散歩風景が続きます。 娘のmikoに「また無理に投稿していますね!」といわれそうです。 土浦入りの写真を再度見てください。 桜川の河口も浚渫事業のおかげでしょうか、心なしかきれいで雄大に感じられました。

Photo_3Photo_4Photo_5  湖畔を往復して、風車のある公園に戻ってきました。 同じ散歩でも、家から直接出かけるよりは車で移動しての散歩もいいものです。 公園には多くの人が散歩などを楽しんでいました。

 散歩は健康維持のために多くの人が行っています。 もくもくと歩くのもいいのですが、自然を鑑賞しながら歩くのもいいものです。 先週目の手術をして運動を控えていたら、筋肉がなまってしまいました。 再び畑仕事や散歩をして感じました。 体重計に乗ってみました。 運動を再開したら、体脂肪のメーターが200代から180台になっていました。

2008年11月14日 (金)

湖岸の町

PhotoPhoto_2  湖岸の道路沿いに、結婚式場のできるホテルと川魚料理の老舗のお店がありました。 お客さんが、憩いの場として霞ヶ浦の湖面を眺めながら一時を楽しんでいるようでした。

Photo_3Photo_4   近辺の公園にオブジェが建てられていました。 周りの住居は、まだ少ないようですが将来は宅地が増えてきそうです。 土浦市街のウララや筑波山が見えます。 霞ヶ浦の湖岸からはさわやかな風が吹いていました。

Photo_5Photo_6 小舟が停泊する漁港がありました。 その堤防の先端で釣りを楽しんでいる人がいました。 沖合には帆掛舟が土浦入りに向かって滑るように進んでいました。 のどかな湖畔の町の夕方の風景でした。

2008年11月13日 (木)

浚渫船

PhotoPhoto_2   桜川の河口の土浦入りに、浚渫船(しゅんせつせん)とみずすましが停泊していました。 1970年代から夏季を中心にアオコが大発生して、水道水の異臭・シジミ・養殖コイの大量死などが発生しました。 1979年にはCOD年間平均が過去最悪の11.3mg/1 に至りました。

 これに対して「せっけん運動」などの市民運動が行われました。 1990年代半ば以降、アオコの大発生は観測されていませんが、水質が改善されたというより発生する植物プランクトンが変化したと考えられるそうです。 

 霞ヶ浦汚濁の要因は、生活廃水もさることながら、約40万頭に及ぶ養豚、約1700haの蓮田などによるものが特徴であると考えられています。 1975年度より土浦入り。高浜入りで浚渫事業がおこなわれてきました。 国土交通省では、1992年度から、年間50億円以上の予算で約50万㎥を浚渫し、この計画では全底泥の5分の1の800万㎥の深さ30㎝の土砂を取り除くそうです。 この底泥からは有害な窒素やリンを溶出すので取り除くのです。

 しかし、浚渫事業を行っても、10年後には5~7cmの底泥が堆積するそうです。 汚濁物質の放出を抑えなければ根本的な解決は望めないということです。 みずすまし号の働きについてはわかりませんでした。 でも、土浦入りのこの辺りで、タナゴ釣りが行われていたことは朗報でした。

2008年11月12日 (水)

花の苗

Photo  8月末に播いたパンジーやデージーの苗をポットに移植しました。 パンジーの発芽温度は20℃以下なので、デージーと一緒に冷房のきく部屋で育てました。 キンセンカは今年とった種子をまきました。 

 商品の中に入っていた「てまりミックス」の袋の中に、ドイツアザミの種子がはいっていました。 来春の開花が楽しみです。

Photo_2Photo_3  ザクロの果実が大きくなってきました。 きのうは、10回にわたって学んだ「実用習字」のウララセミナーの講座が終了しました。 20数名の仲間たちとのお別れでもありました。 同年輩の謙虚な先生の指導で、小筆の使い方や数多くの文字を綴ってきました。 「一日一書」という先生の最後の教えでした。 最近の年賀状は、娘の描いたイラストに数行のコメントを書き、その他はパソコン任せの味気ないものとなっています。 ごく親しい人には、小筆のあて名書きを試みてみようと思っています。

2008年11月11日 (火)

コブハクチョウ

PhotoPhoto_2  11月に入って、霞ケ浦総合公園近くの湖岸に コブハクチョウ がめっきり増えていました。 餌付けにきた男性の近くに水鳥たちが集まってきました。

 全長約150cmのコブハクチョウは、扁平なくちばしがオレンジ色、くちばしの上部の付け根に黒いこぶのような裸出部があり、名前の由来となっています。 ヨーロッパや中央アジアを中心に生息しオランダの国鳥となっているそうです。 このコブハクチョウはどこから来たのでしょう。 越冬のため茨城県にも渡りをするといわれますが、夏にも見かけたことがあります。

Photo_3Photo_4Photo_5Photo_6  カモたちの愛くるしい小さな目が印象的でした。 マーチャンの右目の手術から1週間がたちました。翌日から視界が開けていましたが、日中はガード用のメガネ、夜は眼帯をして手術後の右目を保護してきました。

 1日4回の目薬を3種類点滴しますが、すっかり慣れてきました。 きのうは、マーチャンの問いかけにやさしいお医者さんから、車の運転と畑仕事の許しがもらえました。 「土はばい菌の宝庫ですから目薬を忘れずに!」 このH眼科はとても明るくて清潔な感じがします。 若い多くの看護師の人たちが気持よく対応していて好感度抜群です。 車の送迎サービスも気持ち良くしてくれます。 

 マーチャンの右目は、すっかり明るさを取り戻し、たぶん水鳥たちのように遠くを見通せるようになりました。 でも近くは老眼が必要です。 来週の左目の手術の嫌悪感は消えませんが、超一流のH先生を信頼してお任せです。 

2008年11月10日 (月)

北上川

Photo  夕暮れ時一関から、北上川 に架る大橋のたもとの道の駅「かわさき」につきました。 岩手県および宮城県を流れる東北最大の北上川はバスの車窓から見るだけとなりました。 流路延長249㎞の住民に「母なる川」と親しまれるこの川は、勾配がかなり緩いことが特徴です。 北上夜曲「匂い、やさしい白百合の~」を思い出していました。 写真にある、過去の台風による北上川の氾濫の跡が刻まれていました。 この川にも幾多の思い出が残されてきたのです。

Photo_2Photo_3  盛岡駅から三陸海岸を2日間にかけて約550km縦断して、バスが福島駅に着きました。 同行の32名の皆さんとバスの運転手さん・ガイドさんとのお別れ風景です。

 やる気満々だった添乗員のH君に引率されて福島駅の構内へ入りました。 「~皆さん時間が来ましたらこの場所にお集まりください!」駅のホームに流れるアナウンサーのような独特の口調で解散を告げました。 夜の8時を回っていました。 1階の飲食店街でお蕎麦屋さんに入りました。 やはり同行の仲間が続々と入ってきました。 親しくなった東京板橋のご夫婦や皆さんと福島のお蕎麦をすすりました。 新幹線では、東京の新タワーの建つ近くのご夫婦と一緒になりました。 マーチャンのわきにいつもいる人の代わりに、多くの人と一期一会の交わりをいただきました。

 13回にわたって、憧れだった三陸のリアス式海岸の旅を綴ってきました。 ブログを開いてくださった皆さんに感謝いたします。

2008年11月 9日 (日)

巨釜・半造

PhotoPhoto_3  宮城県気仙沼にある岬まで南下してきました。 この辺りは、陸中海岸国立公園の南端部に位置します。  写真は巨釜といわれる巨大な釜で、大理石の浸食によって円状になった地形に波が押し寄せ、内部を渦巻く様子が、あたかも巨大な釜が煮立たせているように見えることから名付けられました。

Photo_4  こちらは、半造とは名の通り「半分造られた」釜という意味で三日月状になっており、規模はこの半造の方が大きい。 この半造でも、巨釜同様角度によっては渦巻く波が見られるそうです。

Photo_5Photo_6Photo_7  この辺りの海岸線も、リアス式海岸の雄大な眺めでした。 最後の写真は、折石(オレイシ)です。 明治29年三陸大津波襲来の際に、先端が2メートルほど折れてしまった大理石でできたものです。 高さは16mあり潮吹き岩ともいわれているようです。 

2008年11月 8日 (土)

碁石海岸

PhotoPhoto_2  囲碁の碁石には白黒の石が使われます。 マーチャンが土浦一中に勤めていた時、行商が碁石と碁盤を売りに来ました。 先輩に勧められて1セット購入しました。 黒石は那智黒で、白は鹿児島の貝だと言っていましたが? それ以来囲碁に打ち込んできましたが、腕前はさっぱりで今はもっぱらテレビ観戦のみとなっています。

Photo_3Photo_4  大船渡市近郊の 碁石海岸 にやってきました。 この写真は、雷岩です。 碁石海岸一帯は中生代白亜紀初めに堆積した砂岩と泥岩が重なり合って生じた地層です。 海食を受けて生じた洞穴に波が打ち寄せると、中の空気が圧縮され、逃げだときに雷のような音を出すそうです。

Photo_5Photo_6  ここは、乱曝谷といって、高さ30メートルをこえる陸地と島の海食による断崖が狭い水路をつくっています。 このように穏やかな合間には小舟が静かに通り、海食によってできた同門や洞穴を見せてくれます。 ひとたび海が荒れると激しい波が打ち寄せ、砕け散ったしぶきが島をおおい、自然の猛威を目のあたりに見ることができるそうです。

2008年11月 7日 (金)

大船渡市

Photo_2  マーチャンブログも2年目に入りました。 398回目のブログは、岩手県南部の都市大船渡について語ります。 ツアー2日目のバス旅は、330キロとあって疲れが出てきました。 ここで昼食となりましたが、マーチャンは母娘の人と同じテーブルで自分は日替わり定食を食べました。 「お母さん娘さんと一緒の旅行うれしいでしょう!」 と声をかけました。 「娘が2日間休みが取れたので、つきあってと頼まれてきました。 私はすぐ後に旅行の予定があるんですよ。」 まんざらでもない楽しみをこんな表現で語ってくれました。 このお母さんは、カモメに餌付けをすることが最大の楽しみだったそうです。 明るい親子の振る舞いのなかに、我が家のおやこの思いが重なりました。

Photo_3Photo_4  陸中海岸国立公園のほぼ中央に位置し、世界三大漁場の一つである三陸漁場と典型的なリアス式海岸を持つ大船渡市は人口約43万人の都市です。 市内各地に石灰石鉱山があり、太平洋セメント大船工場があるそうです。 岩手県最大のこの港には、韓国の釜山と国際定期航路が結ばれているそうです。

2008年11月 6日 (木)

釜石

PhotoPhoto_2  鉄の町釜石に休憩のため立ち寄りました。 短い時間でしたが、この町を象徴する記念碑に出会うことができました。 バスに乗車してからガイドさんが触れましたが、一行の皆さんは残念がっていました。

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 釜石は、大島高任が当地の良質な鉄鉱石に着目し、安政4年12月1日、近代製鉄法による鉄づくりにわが国初めて成功した町です。

 以来、三陸大津波、戦禍、産業構造の変化などの困難に直面しましたが、それを乗り越え鉄づくりで、培った伝統のものづくりでわが国産業の発展に貢献してきました。 鉄の町として歩んできた150年の歴史を「鉄のふるさと・釜石」の原点として、「高炉の火」から授かった灯によって永遠に照らし続けることとします。 2007.12.1

 製鉄所が稼動していた時は、市内循環のバスが30分おきに走っていたそうです。 マーチャンが土浦四中の3年生を担任していた時、K君が釜石の高校へ受験して進学していきました。 その高校の教頭先生は、土浦一高の先輩でした。 受験の手続きなど教えていただいたことが思い出されました。 彼は今どうしているでしょうか懐かしさがこみあげてきました。

2008年11月 5日 (水)

日の出2

PhotoPhoto_2Photo_3Photo_4  宮古市田老町の日の出です。 再び投稿しました。 昨日右目の白内障手術を行いました。 今日は眼科医の診察を受け、経過が良好であることを告げられました。 右の眼のレンズを人工レンズに取り換えて明るさを取り戻しました。 ちょうど仁王岩からの日の出のようでした。

 昨日午後3時に病院へ入りました。 精神安定の錠剤を1錠飲み、抗生物質の入った点滴をつけました。 右目には午後2時ころから15分ごとに瞳孔を開く目薬を点滴しました。  午後4時過ぎ、手術室に入りました。 麻酔用の点滴が注がれ、照明が近づいてきました。 事前の説明にあったように眼球に3ミリ程度の穴が開けられたのでしょうか、視界の半分程度の緑色の輝く映像が前後左右に動いていました。 緑の縁は一際明るく輝いていました。 10分くらい経過したでしょうか、思いなしか緑の映像が小さくなっていました。 「きれいに取り除けました。」H医師の言葉がかかりました。 ホッとしました。 

 事前の先生の説明によると、白く濁った水晶体を超音波で砕いて吸い取り、その後に注射器のような容器の中に折りたたんで入っている人工レンズを挿入したようです。 レンズの両側には2本の糸状のひもがあり眼球の中で固定する働きがあるそうです。 15分程度で手術が終わりました。 眼帯で右目を固定して、家内の車で帰宅しました。 数時間はある程度の痛みがありましたが、夜は熟睡できました。 きょう9時病院で眼帯をとりました。 広い検査室の清潔な白壁の部屋が一層白く明るく輝いて見えました。 遠方の視界は良くなりましたが、、手元は調整が必要のようです。 2週間後は同じことを左目で行う予定です。

Photo_7 田老港の漁船が2艘、元気よく日の出に向かって出港していきました。  マーチャンも新たな希望に向かって出発です。 

2008年11月 4日 (火)

カモメ

PhotoPhoto_2  遊覧船に乗船して、浄土ヶ浜の外洋に出ました。 昨日より好天に恵まれ、波穏やかで美しい海岸線を観賞することができました。

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 浄土ヶ浜が見えてきました。 外洋から荒波を防ぐ岩礁が取り巻いてました。 水成岩の隙間からマグマが噴き出してできたといわれるロウソク岩がありました。

Photo_5Photo_6  カモメ の大群が、遊覧船につきまっとってきました。 灰色カモメがウミネコでしょうか。 カッパエビセンを片手に餌付けしている奥さんがいました。 娘さんが笑顔でスナップ写真を撮っていました。 佐渡の外洋で、娘たちが餌付けしていたのとは対照的でした。

 昨年の11月6日「ブログを始めました」の投稿以来、記事数395件、コメント数691件、アクセス数19,595を数えました。 ご指導いただいた講師の先生はじめご協力いただいた皆様に感謝いたします。 マーチャンも老化現象の一つの白内障の手術をきょうから行うことになりました。 眼科医の指示があるまでブログをお休みいたします。

2008年11月 3日 (月)

浄土ヶ浜

Photo  宮古常安寺の霊鏡竜湖和尚が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから 浄土ヶ浜 と名付けられたといいます。 

 鋭くとがった白い石英粗面岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩っています。 松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストが見事でした。

Photo_4Photo_5Photo_6  約5200年前の古第三紀に形成された火山からなる白い岩塊と同色の小石によって、外海と隔てられた波穏やかで清明な入り江が形成されました。 また、岩上にはナンブアカマツなどの常緑樹の群青が見られ、あたかも日本庭園のような美しい景観を醸し出していました。 東北訛りのバスガイドさんの説明を受けながら、マーチャンは極楽浄土をさまよっていました。 振り返ってみれば、生まれてこの方愛用してきたレンズで見る最後の景観となります。 明日から、数週間をかけてレンズ交換をします。 マーチャン農園ブログはどうなることでしょうか? 

2008年11月 2日 (日)

鵜の巣断崖

Photo_2Photo_3Photo_4  初日最後の観光地 鵜の巣断崖 です。 5列に連なる迫力のある200メートル落差の断層は、巨大な屏風のようでした。 海岸線に直角な隆状の中腹には、ウミウの巣があることから鵜の巣断崖と名づけられました。

Photo_5  ウミウは、外海の島や荒波が打ち寄せる岩礁で生息します。 潜水して主に底性の魚類を採食します。 その習性を利用したのが、長良川鵜飼いの鵜です。 国内唯一のウミウの捕獲場所が、十王町伊師浜海岸の岬です。 ウミウは春に繁殖のため北に向かい、冬には南に降って越冬します。 その渡の休憩地として、最高の場所が鵜の岬でした。 鳥屋という小屋の外におとりの鵜が置かれ、近寄った鵜を「かぎ棒」で捕獲するそうです。

 数年前、この岬の断層が崩落して捕獲ができず心配されましたが、修復工事に着手したようです。

2008年11月 1日 (土)

北山崎

Photo  高さ200メートルの切り立った断崖が8キロに渡って連なる 北山崎 の絶景です。 北アリス線譜代駅からバスに乗り継いでやってきました。

 リアス式海岸の中では、最も険しい景勝地です。 「地殻が沈降していくとリアス式海岸が生じます。 さらに沈降すると多島海になります。」マーチャン先生は、スライドや写真を見せながら中学生に指導してきました。 ところが、最近では「最後の氷河期が終わって、海水面が上昇しリアス式海岸ができた。」という学説が出てきました。

Photo_2Photo_3   「昔、たいへん美しいアイヌの娘がいました。 二人の若者がその娘に恋をしていました。 ~ここから思い切り矢を放ち、遠くへ飛ばした方に嫁入りします。~ 一人の若者の矢は矢越岬を越えて飛んでいこました。」 伝説のお話に古代のロマンを感じました。

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  遊歩道を少し下って、ふたたび海岸線を眺めました。秋の夕日はつるべ落としといいますが、午後4時とは思われない夕闇の気配でした。

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