« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月31日 (火)

地鎮祭

PhotoPhoto_2  南流山の新興地に子どもたちの家が建つことになった。 夫婦で、あれこれ設計して工務店さんに依頼するまでになった。 アパートには、職場の友人がつくってくれたミニモデルの建物が5個ほど飾ってあるが、そのどれとも違うものだという。

 社長さん夫妻や友人が地鎮祭に参加してくれた。 工務店のKさんは好感度抜群であった。 Kさんもブログを投稿しているということで、親近感を覚えた。

 祭壇には、御神酒とおかしらつきの鯛・マーチャン農園の野菜などが祀られた。 夫婦仲良く地鎮祭祝詞を復唱していたが、漢文の抵抗にたびたびつまずいていた。 その後、二人力を合わせて鍬入れをした。 全員で、二拝・二拍子・一拝をして幸多きことを祈った。 鬼門を先頭に、四方に向かって清めのお塩・清酒などをまいて、無事地鎮祭は終了した。

2009年3月30日 (月)

般若院のしだれ桜

Photo  龍ヶ崎市根町に久しぶりにやってきた。 ニュータウンの小学校に2年間勤めていた時、市役所内の教育委員会へ何度も来たが、この地は初めてである。

Photo_2Photo_3  天台宗般若院金剛山の本堂には、多くの花見客が訪れ、屋台や花見客の円陣が組まれていた。

Photo_4Photo_5Photo_6  樹齢400年の巨木、エドヒガン桜のみごとな開花である。 高さ10m・幹回り5mの一本立ち、枝の張りは東西15m・南北22mに及ぶ。

 県の天然記念物であり、日本の代表巨木でもある。 六義園のしだれ桜も満開のようだ。 しだれ桜は、何年たっても枝ぶりが変わらない健康な桜のようだ。 

2009年3月29日 (日)

牛の親子

PhotoPhoto_3  農学部の牛舎には親子の牛が数頭いた。 ほのぼのとした愛情に満ち溢れた親牛の振る舞いと、あまえる子牛のあどけなさが心をいやしてくれた。

 常陸牛なのだろうか、泥んこの中でのんびり日向ぼっこをしていた。 やがては、食肉として売られてしまう宿命にありながら。

Photo_4  農場には、筑波おろしの寒風を防ぐヒノキの防風林が茂っていた。 以前には松の木があったそうだが、マツクイ虫の被害で切り株を残すのみとなっていた。  キジが2羽飛び立った。 『住宅地が建って、緑が少なくなったのでキジも減ってしまった』 と先生が嘆いておられた。

Photo_5Photo_6  牛フンや雑草を積んでたい肥を作っていた。 先生が気軽にお話に応じてくれた。 『たい肥が完熟するには、2年はかき混ぜながらねかせておくんだよ』

 この農場には、一般の人たちが野菜の栽培体験をしているそうだ。 防衛大学の教官をつとめた方もご夫婦で来られ、ジャガイモなどをつくられたという。 『自分で栽培した野菜を食べるんだ。』 という信念を持っていたという。

2009年3月28日 (土)

農場見学

Photo  茨城大学農学部の本館のかなり先方に、20ヘクタールの農場があった。 牛舎・果樹園・栽培園が広がっていた。 

 ウララの講座で、お話があった緑肥畑が見られた。 えん麦・ライ麦のたぐいの植物を栽培し、収穫せずそのまま田畑にすきこみ植物と土を一緒に耕して肥料とするのである。 この畑にダイコンなどを播くとよく成長するという。

 男女2人の学生さんが、この草丈を測定してメモしていた。 『どちらの方ですか?』 マーチャンの語りかけに 『中国のハルピンから来ています』 と答えてくれた。 あとで聞いた話によると、男性の人は妻と子供を呼んで一緒に生活しているとのことだった。 中国に帰ったら大学の教授になれるという。 外国の地で苦難に耐え、研究を続ける姿に改めて感心した。

 ハルピンの一般的な農家は、80ヘクタールの農地を持っていてトウモロコシやジャガイモなどを栽培しているという。

Photo_2  ご覧のトラクターで、緑肥を耕せばやがてみごとな野菜畑が出現するのだ。

Photo_3  マーチャン農園の緑肥は、手押し耕運機では手に負えず、Kさんと家内の助けを受けて鎌で刈り取りたい肥に積んでもらった。 それにしても、最近使われなくなった鍬・鎌・マンノウなどの日本古来の農機具をだれが伝承することになるのだ。 心配だ。

2009年3月27日 (金)

茨城大学農学部の桜開花

PhotoPhoto_2  阿見町にある茨城大学農学部を訪問した。 ウララの講座で、同大学の教授のお話を聞いて農場を見学するためである。

 本館の事務の方が快く希望を認めてくれた。 最近は、地域のために開放して、広くノウハウを教えてくれているようだ。

Photo_3Photo_4 農場に向かう前に、本館前の桜の花を見学した。 マーチャンにとっては、今年初めての桜の開花である。

 教職にあったとき、この学部を卒業した先輩が数名おられた。 一度は訪問したかった願いが、半世紀たったこの日に達成できた。 四月には、60人の新入生が加わるとのことだった。 5人に1人という難関を乗り越えた学生さんだが、6割は女性という時代になっているようだ。

 新聞報道に出ていたが、50代の人がバイオの研究をするためこの大学に入学されるとのことであった。 マーチャンももっと若かったら、聴講生となって菜園作りの腕をあげたかったのだが。 

2009年3月26日 (木)

心をつなぐ常磐線

Photo  土浦駅から上野に向かって発車すると、最初に架る一番橋をくぐる。 孫を連れたおじいちゃんが列車を見せにやってきた。 

 マーチャンも何度かこの地に立って、娘たちの帰省を想定してポカンとしていたことがある。 明日は、宇治に住んでいる叔父の家族が4人来てくれることになった。 義母の弟にあたるOさんには、長谷寺詣での時 京都駅から自家用車で送迎してもらった。 叔父の車で、京都の夜景を見物し舞妓さんにも遭遇した。

 信心深い叔父は、親父と義母のお墓参りをしてくれることになっている。 今度は、マーチャンがマイカーでお迎えすることになった。

Photo_2Photo_3  土浦駅西口のウララと手前に停車しているキララちゃんをとらえた。 このキララちゃんは、四方に向かって走っている。 市内の停留所には結構待ち合わせのお客さんを見かける。 一度は乗ってみたいと思うが、その機会がつかめない。

Photo_4Photo_5

2009年3月25日 (水)

雨上がり

Photo  雨雲の隙間から、太陽の光が差し込んできた。 その後は花冷えで冬に逆戻りである。

Photo_2  穂を伸ばしたミニ葉ボタンには水玉が残っていた。

2  半年振りに2番橋の改修が成り、初渡りをした。 古材を利用して頑丈になり、土浦日大高校の学生諸君も通れるようになった。

Photo_3  2番橋から釣り堀と保健センターが見える。 この辺りには、土浦花火大会の時見学に近所の人たちが集まる。

Photo_4Photo_5  梅の花がマッチした白亜の邸宅を通って、保健所前に達した。 霞ヶ浦がかすかに望めた。 雨上がりで、大気が清々しい感じがする。 思いっきり深呼吸した。

Photo_6Photo_7  坂を昇り降りして、四中公民館・久月を通って帰宅した。 万歩計を見たら、8000歩近くを指していた。

2009年3月24日 (火)

笠間稲荷詣で2

Photo  朱の鳥居をくぐると右手に、手水舎(ちょうずや)があった。 お参りする前に身を清めるために手水を使う。

Photo_2  東門の前にさざれ石があった。 『石灰質角れき岩』である。 君が代の歌詞にあるさざれ石は、細かい石が長い年月を経ていく中で巌(いわお)となったと言っている。

 東門も由緒ありそうだった。

Photo_3Photo_4Photo_5  本殿にお参りした。 祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)である。

 五穀豊穣・商売繁盛の神として古くから厚く信仰され、関東はもとより日本各地から350万人の参拝者が訪れるという。 この日は、ご覧のとおり閑散としていた。

 マーチャンは、お賽銭をあげて『二拝 二拍子 一拝』して、『祓え給え 清め給え 幸え給え』と案内板に従ってお祈りした。

2009年3月23日 (月)

成長した苗たち

Photo  2月22日に湯たんぽを利用して播いた、トマト・ナス・ピーマン・サルビア・マリーゴールド・アスターの苗がこれまでに成長した。 日中はサンルームで過ごし、夜はお部屋で安眠中である。

 まだ、ポットへの植え替えは早すぎる状態だ。Photo_4

 モヤシのようだったトマトの『桃太郎』も、茎は太くなり本葉も茂りだした。 今週末には、ポットへ植え変えてやらねばならない。 宅配の生協グループの奥さんたちにお手伝いを予約した。

Photo_5  3月9日に、ゴーヤ・キューリ・ウリ・キャベツ・石竹 を湯たんぽの再利用で初めて試みてみた。 ゴーヤは、助っ人のHさんからいただいた九州産の子孫である。

 これらの苗も、畑への定植は1ヶ月後となりそうだ。

Photo_6Photo_7  愛用の耕運機を持ち込んで、畑の耕しをはじめた。 ダイコン・ニンジン・トウモロコシの種を植えてみた。 ジャガイモとサトイモの植え込みも迫っている。

2009年3月22日 (日)

お彼岸

Photo  樹齢400年の常福寺のイチョウの前に立った。

Photo_2 不動堂のコブシの花が咲き始めた。

Photo_3  本堂の前に子育地蔵の優美なお姿に接した。

 お彼岸というと先祖のお墓参りを繰り返している。 お花と線香をもって家族揃ってお参りしてきた。 この日は、娘が帰省したので2度目のお墓参りとなった。

 この機会に親戚知人と再会できるのも楽しみの一つになっている。 家族・親族の絆を深める意味でもお彼岸の存在は貴重だ。

 彼岸とは浄土のことであるといわれる。 浄土とは、西の彼方にある極楽浄土のことである。 お彼岸に1200年前、国分寺の僧侶が法要を始めたという。

Photo_4Photo_5Photo_6  常福寺の紅葉園庭からの素晴らしい展望をカメラにおさめた。 郷土の自然を代表する筑波山と桜川がそろって撮れた。

2009年3月21日 (土)

花が咲いた

Photo  春とは思えない暖かさが続き、花が一斉に咲きだした。 いつもの散歩道の途中、民家の軒先にスイセンが見事に並んでいた。

Photo_2Photo_3  八重咲きのツバキも見事に咲いている。 古風な屋敷の門の前に調和していた。 黄色い花を沢山つけたこの木は、昨年も別の場所で見つけたが、まだなまえがわからない。

Photo_4  梅林の下に薄紫の花が咲き乱れていた。 家内が「ダイコンの花だと聞いたが?」 というが定かではない。 マーチャン農園の残りの大根も花のつぼみが伸びてきた。 『雨よ風よいつ迄咲ぞ野大根』 一茶の呼んだ歌がある。 数本残して一茶の思いに触れてみようか。

2009年3月20日 (金)

松見公園からの展望

PhotoPhoto_2Photo_3  『せんぬき』と呼ばれている展望塔に登った。 大理石でできた展望台からは、筑波研究学園都市から筑波山まで360°のパノラマが楽しめた。

Photo_4Photo_5Photo_6  筑波万博記念館のロケットとプラネタリュームがまじかに見える。 筑波山が都市の背景としてそそり立っていた。

 全国で2番目に広い敷地をもつといわれた筑波大学が建っている。 マーチャンは、土浦一中に勤務していた時、3ヶ月間この大学で内地留学を体験した。 東大通りのトウカエデがきれいに紅葉した景色が目に残っている。 T教授の教官室を拠点に、心理学の授業などを受けた。

 刑務所の所長さんを務めたことのあるU教授や、教育心理学のM先生にもお世話になった。 階段教室で、多くの学生さんと授業を受けていた時 『指導要録と指導要領の違いを説明してください』 とM先生に指名されてお話をさせてもらったりしていた。

 開学当時は、常磐線からバスに乗って大学へ通っていた先生は『バスが砂煙の中を走っていたよ!』などのエピソードを語ってくれた。

2009年3月19日 (木)

松見公園

Photo  高さ45メートルの展望塔が建つ松見公園に、冬の日向に訪れた。

 この塔は『せんぬき』と呼ばれているようだ。 昭和50年代の頃は、まだ筑波研究学園都市は建設真っ最中であった。 『坪30万円の建設投資』といわれていた時代、東大通りが建設されていた。 中央分離帯の両側に2車線、その両端には樹木並木が植えられた。 街を火災から守るのだと聞かされた。

 当時はすごく広くてみごとな道路だと感動して見ていたが、いまでは狭い感じがする。

 つくば市となった今、土浦や牛久から通じる幹線道路はいつも車で埋まっている。 TXが開通して、つくばの発展は一層進んでいる。

025Photo_2Photo_3  松林であった原野に松見公園がつくられた。 日本庭園の美しさを味わえる回遊式の庭園が開けている。 はじめてこの地を、カローラに乗ってやってきた時、カギを入れたままロックしてしまった。

 長女を身ごもっていた家内がタクシーに乗って、合鍵を持って来てくれた思い出の地でもある。

2009年3月18日 (水)

笠間稲荷神社

PhotoPhoto_2  笠間稲荷神社の一の鳥居・二の鳥居を撮った。 正月の初詣には80万人近く訪れるという。 

Photo_3Photo_4Photo_5  楼門が厳かにそびえ立っていた。 左右には武者姿の凛々しい座像が鎮座されていた。

 お稲荷さんには狐の像がある。 キツネは稲荷大神の「神使」という霊獣で、神そのものではないという。

 柳田国男氏の指摘によると、日本人には「山の神、田の神」の信仰があり、春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の育成を守護し、収穫が終えたら山に帰って、山の神になるという信仰である。

 キツネも春から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せることから、「神使」となったと思われる。

2009年3月17日 (火)

ハウス栽培

PhotoPhoto_2  目薬がなくなったので、つくばの眼科へやってきた。 待ち時間を利用して、筑波山の見えるところへ行ってみた。 筑波山と雪入山が平野の先にそびえ立っていた。

この辺りにはかなりのハウスが連立していた。

Photo_3Photo_4  ぶしつけにトマトハウスの中をのぞかせてもらった。 懐かしいあこがれのトマトが、ハウスいっぱいに栽培されていた。 黄色い花が咲き、根元にはトマトが実っていた。 年配のご夫婦が、奥のハウスの手入れをしていたので、声をかけた。

 『トマト栽培には、あまり肥料をあげない方が甘いトマトができるんだよ!』 人の良さそうな奥さんが話してくれた。 マーチャンのトマトは、苗の段階で部屋の中でお休み中である。

 土曜日に、教え子のS君とI君が、4月末にに行われる同窓会の案内状をを持って来てくれた。 2時間ほど語りあった。 S君は、筑波大学の教授で大学院で解剖などの指導をしているとのことであった。 I君は農協の総務部長だけあって、マーチャンの質問に専門的に答えてくれた。 第一線でそれなりの責任ある仕事をしている彼らではあるが、中学生の頃と同じような対応をしてくれ、話に花が咲いた。

2009年3月16日 (月)

東京駅

PhotoPhoto_2  日本鉄道の玄関口東京駅である。 大正3年(1914)、辰野金吾と葛西万司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り3階建てである。 

 総建坪9,545㎡、長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。

 駅周辺もすっかり変貌して、東京駅も改修が終わったようだ。 マーチャンが若い頃東京駅に降り立った。 旅の疲れをいやす場所が見つからないお上りマーチャンは、丸の内ビルの喫茶店に入った。 暑いのでかき氷を注文した。 60円で大盛りのミルクのかかったかき氷にむしゃぶりついた思い出がある。 地方では20~30円で食べられたかき氷である。 

 数年前、駅前に大きなビルが完成したというので、娘と屋上のてんぷら屋に入った。 眼下の東京夜景を見下ろしながら、中央に置かれた厨房で、各地域からとり寄せられたという魚や野菜の揚げたての天婦羅を食べた。 いい気分でレジに向かったら、財布の福沢諭吉さんが残り少なくなってしまった。 

 この辺りから皇居に向けて、散歩したことがあった。 島倉千代子の「東京だよおっかあさん」 じゃないが二重橋や桜田門・日比谷公園とぶらついた。

2009年3月15日 (日)

富士・はやぶさ号ラストラン

PhotoPhoto_2  寝台特急あさかぜの雄姿である。 ブルートレインの先駆けとして登場したが既に引退している。

 昨日は、富士・はやぶさ号のラストランが行われた。熊本~東京間約1300キロを18時間で走破した映像が、NHKテレビで流された。 進学・就職・新婚旅行など数々の思い出を残して、その使命を果たしたのだ。

 マーチャンが就職した昭和33年(1958)に、冷暖房完備のこのブルートレインが走り出した。 洗面器と広いベットのある個室車両が2両と開放寝台車両・レストラン車からなる動く豪華ホテルといわれた。

 この時代はまだ貧しくて、バナナは高嶺の花だった。 学校給食では、脱脂粉乳とコッペパンで、田舎の子どもたちはかすり袢纏をまとった鼻タレ小僧の時代だった。

 東京タワーの竣工・川上哲治の引退・長嶋茂雄の4打席4三振、そして皇太子と美智子さんの婚約発表によるミッチーブームの始まりでもあった。 懐かしいなー!

2009年3月14日 (土)

夏を待つ苗たち

Photo  昨年の7月初め頃実ったトマトである。 数週間後には、真っ赤に育ち収穫できた。

Photo_2Photo_4Photo_5  段ボールの中で湯たんぽで昼夜温めたトマトの苗がもやしのように伸びてしまった。 日中はサンルームで日向ぼっこをし、夜は植物育成ランプ 『プラントライト』 に照射され、やっと本葉が出てきた。

 トマト・ナス・ピーマンの順で発芽するが、ピーマンは発芽まで15日かかる。

Photo_6  二番手のキュウリ・ゴーヤ・サルビアなどの種子を園芸用土ピートモスに播いた。 スギゴケ・ヨシなどの植物が堆積し、腐植化した泥炭を脱水・粉砕・選別をしたピートモスは、無臭で養分を蓄えている。 マーチャンの部屋でも育苗を行うことが可能となった。 最近はあきれられて苦情も聞かれなくなった。

2009年3月13日 (金)

陽ざしが戻った

PhotoPhoto_2Photo_3  長雨が続いた。 久しぶりに太陽が顔を出した。 わが家の庭にもその恩恵を受けて、草花が生き生きとしてきた。

 朝晩の寒さはまだ続く。

Photo_4Photo_5  散歩の途中、梅の花が目を楽しませてくれる。 筑波山梅林に行こうと思っていたが、実現できなかった。

『桜切るバカ、梅切らぬバカ』 という諺がある。 梅は再生力があるのだろうか。 うらやましい限りだ。

Photo_7  小松の坂の道路拡張工事が進んでいる。 小学生の通学歩道を先に造ってくれているという。 ありがたいことだ。

Photo_8Photo_9  わが家の垣根にあるボケの花が、主の帰りを迎えてくれた。 春を迎えて、マーチャンもボっけとしていられないのだが。

2009年3月12日 (木)

九州古陶磁の精華

Photo  笠間の陶芸美術館にお供でやってきた。 やきもので九州の地図を描いた田中丸善八さんのコレクションの展示が行われていた。

 17世紀初期の作『絵唐津菖蒲文茶碗』があった。 陶芸を始めて数年になる家内は、唐津焼の魅力にとらわれているようだ。 マーチャンは、これといった想いがない。 九州旅行のツアーで寄った伊万里焼きや柿右衛門の艶やかさに見とれていた。

 郷土の文化を愛し、第一級の九州古陶磁コレクションを築き上げた田中さんは 『私は名器であればあるほど、毎日の生活の中で味わってみたいと心掛けている。 香炉、花器、お鉢など夫々の機能に従ってこそ美の発見ができると思う』 と語っている。 庶民の生活とはかけ離れたお話ではあるが、その心が伝わってくる。

Photo_2Photo_3  荒川豊蔵さんの展示会のポスターがあった。 微かな記憶が蘇ってきた。 笠間の地で、陶芸に打ち込み、練上手保持者(人間国宝)松井康成さんの実演のテレビが流れていた。 大胆で繊細な技法で見事な作品が仕上がっていた。

2009年3月11日 (水)

峰寺山からの眺望

Photo  自然石の観音像を本尊とする峰寺山の堂宇に立った。

Photo_2Photo_3Photo_4  お寺の案内板に目を通した。 『この堂宇からの眺望は、快晴であれば、霞ヶ浦より鹿島灘や太平洋も望むことができ、筑波の紫峰を右にして四季の織りなす変化、樹間より垣間見る八郷盆地の景観は京都をしのぐものがある。』 まさに郷土の誇る名勝地であった。

Photo_5Photo_6  本堂からの帰り道、再び立木観音菩薩像を拝顔した。 約6メートルもある、桧材寄木造りの虚像であった。

 境内西方には、県指定天然記念物の球状花崗岩(俗称 小判石)がある。

2009年3月10日 (火)

常陸風土記と万葉ライン

Photo_3Photo_4  巨木の麓に天台宗『峰寺山西光院』が建っていた。

お寺の説明に、「常陸風土記と万葉ライン」の添え書きが記されていた。 平安時代初期、大同2年(807)京都から来た名僧 徳一大師の開山と伝えられている。

Photo_5Photo_6  本堂は、懸造リで関東の清水寺として名をはせた建物である。 建坪57.6㎡、総高22m、脚高11mの懸けや造りで、自舎方三間寄棟造りの珍しい建物である。

Photo_7Photo_8 回廊を渡って正面へと進んだ。 昭和48年3月に総工費2千万円以上を投じて、建立当時の威容を現しただけあって趣が深かった。 再建当時、親父たちと家族大勢で訪れた思い出の地でもあった。

2009年3月 9日 (月)

東の筑波

PhotoPhoto_2Photo_3  中志筑・フラワーパークを経由して笠間へ向かう途中、筑波山をとらえた。

「西の富士・東の筑波」と古の人々にも愛された名山である。 その姿は、朝は藍・昼は緑・夕は紫と色を変えることから『紫峰』といわれる。

Photo_4Photo_5  東筑波ユートピア野猿公園へ向かう手前の道路を左折してしまった。 地元の親切な人々の案内を受けて、この先の道を通っても行けることを知った。 杉林を縫うように舗装道路が走っていた。 ただ、断崖絶壁のところでもガードレールがなくて、枯れ枝が道路に散在していた。

 道が開けたところに、古びた庵があった。 山懐を眺めながら瞑想にふけって過ごせそうな場所だった。

2009年3月 8日 (日)

旅のアクシデント

Photo  旅にはアクシデントがつきものだという。 ケアンズ空港12:05分発のジェットスター航空機が欠航となった。 午後5時以降の便に変更となったのだ。 さらに困ったことには、この飛行機は関西空港に着陸するという。

Photo_2Photo_3  真夜中の2時に関西空港について、日航ホテルの豪華な四人部屋に入った。

 娘たちは、会社に出勤するので4時過ぎには出て行った。

Photo_4Photo_5Photo_6Photo_7 マーチャン夫婦は、関西空港駅から3つの座席指定の急行列車で、マイカーの待つ成田へ向かった。 およそ5時間の旅だった。

Photo_8Photo_9  旅のおまけに日本のシンボル富士山を車窓から仰ぐことができた。

2009年3月 7日 (土)

お別れケアンズ観光

Photo  ケアンズ観光の投稿を長々と綴ってきた。 ケアンズの夕方、海岸近くのプールを訪れた。 海との境がわからないほど広い場所に、市民が涼を求めていた。 毛皮のようなバスタオルを被った子どもがあがってきた。 まるで可愛いビーバーのようだった。

Photo_2Photo_3 めずらしい木の花の香りが漂っていた。 海岸通りに公衆電話があった。 向い側には、観光客向けのスーパーマーケットがあり、中を通り抜けると大通りに出ることができた。

Photo_4  宿泊した町はずれのエスプラネードホテルの外観である。 JTBの定期マイクロバスや観光ツアーのバスが玄関先までまわってくれた。

Photo_5  ケアンズ郊外の大農園を見た。 トラクターや貨物車が沢山止まっている。 自称マーチャン農園など比較にならないスケールだ。 

2009年3月 6日 (金)

キュランダの自然

533  ワイルドライフパークのカウンター番をしているオーム君。 レジの主人と会話を交わしていた。 中国人の観光客を相手にしても物怖じしない。

Photo  これが生姜の花だとマッちゃんが教えてくれた。 

Photo_2Photo_3  マーチャンの故郷には見られない植物がいっぱいあった。

Photo_4  道路から離れた樹木の根元に大きなトカゲが現れた。 わが家の庭に出てくるトカゲの10倍はありそうだ。

Photo_5Photo_6Photo_7 アボリジニアートが観光バスにも描かれていた。 

2009年3月 5日 (木)

ケアンズの朝

PhotoPhoto_2Photo_3Photo_4  雨期の季節を迎えていたケアンズの朝の景色を撮った。 昨夜の激しい雨が信じられないように晴れ渡っていた。

Photo_5  街中でひときわ目立った建物は、カジノだった。 ルーレットやスロットマシンなどの機器を使ってギャンブルを行う施設だろう。 最近ガソリンスタンドでもスロットマシンが導入された。 ガソリンが1円びきの5等に当たっていい気分になることがある。

Photo_6Photo_7Photo_8  港近くに広い公園があった。 熱帯地方の常緑樹カジュマルがあった。 こんもりした樹木の下は何本もの根が張っていた。

2009年3月 4日 (水)

野菜市場

PhotoPhoto_2  キュランダの野菜市場にやってきた。 街角で親しげに声をかけてきた、邦人Xさんに教えられたところである。 Xさんは、キュランダ郊外で民宿をしているという。

『寒い冬が苦手なので、3ヶ月間オーストラリアへやって来てしまった!』 マーチャンと同年代の熊本の銀行マンだったという。 気持ちは分かるが、奥さんも同伴せずよく実行できたものだと感心した。 

 ケアンズの英会話スクールで学習していて、ときどきスーパーの日本のお弁当を食べに出かけてくるようだ。 インターネットもやらないで、日本社会と全く隔絶された生活 まだ一週間目だという。 『健康に頑張ってください!』といってお別れした。

Photo_7Photo_8Photo_9  トウモロコシ・ジャガイモ・トマトなど、マーチャン農園でもできる野菜が結構あった。 熱帯地方ならではのカラフルな野菜が目を楽しませてくれた。

2009年3月 3日 (火)

春なのに

Photo  春を迎えたというのに、毎日曇りや雨の日が続く。 匂い橋の欄干に止まった鳩も元気がない。

Photo_2Photo_3  梅やクロッカスも咲いたけれども、彩りが悪い。 きのうは一日快晴だったが、今夕から雪が降るという。 気象予報士もこの時季に菜種梅雨がかかるのは珍しいといっていた。

Photo_4  昨年より遅れて、2月22日に播いたトマトたちがもやしの様に伸びてしまった。 湯たんぽで温めたせいもあるが、日中の日光浴ができないためである。 そこで太陽の代わりに、75ワットのプラントライトを照射している。

Photo_5Photo_6Photo_7

2009年3月 2日 (月)

アーミダックで熱帯雨林走破

Photo  第二次大戦の落し子、水陸両用6輪駆動車『アーミダック』で熱帯雨林の走破に向かった。 4名6列、定員24名が、1号車に乗っているマッちゃんの拡声器による説明を受けながら進んだ。

Photo_2  青色羽ののユリシス蝶の餌になる、ユークウッドツリーとの説明だったが、見分けがつかない。

Photo_3 あんな高い木の上にアリ塚があった。

Photo_4  『この先、池の中を進むか、陸地を行くか?』運転手のジョークが始まった。 乗客の賛成多数で水中へ進むこととなった。。

Photo_5  このアーミダックは、環境を考慮して、ガソリンエンジンから液体天然ガスを使用しているという。 岸では亀が甲羅干しをしている。

Photo_6  運転手が、スティグツリーに注目している。 細長い葉の周りには、のこぎりのような刃のようなとげが生えていて、指などに触れるとそのとげの後遺症は6ヶ月に及ぶという。

Photo_7 マイカーの運転手は、竹のような枝を折り曲げて、絶対切れないことを演じていた。 名前は忘れてしまった。

2009年3月 1日 (日)

アボリジニの文化

PhotoPhoto_2Photo_3  キュランダ高原のワイルドライフパークに来た。

 狩猟採集生活を営んでいたオーストラリア大陸の先住民、『アボロニジ』の人たちによる踊りを見学した。 自然信仰の表れだろうか。 日本人観光客も交じって盛り上がった。

Photo_6Photo_7  狩猟に使われる棍棒の一種だったブーメランが、どこへ行ってもお店に並べられていた。 アボリジニの天才画家、エミリー・ウングワレーさんの写真入りの作品もあった。 手書きでよくもあのような繊細で幻想的な表現ができるのだろうか。

Photo_8  管楽器ディジュリドウを演奏してくれた人が、気さくにカメラに応じてくれた。 シロアリに食われた筒状になったユーカリの木から造られるこの楽器は、管の一端に口を当て唇の振動で、低い重厚な音色を出していた。                 

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30