« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

小松の坂

Photo  何回か投稿してきた土浦駅東口から、牛久につながる48号線の小松の坂付近が整備されつつある。 筑波万博の時には立体交差の計画であったが、4車線で125号線と交差することになった。

 小学生が通学しやすくなったみごとな歩道ができた。 日大高校の生徒さんや一般の人も利用するようになった。

Photo_2Photo_3  年度末になって、工事用の大型車がが姿を消して新しい2車線は相変わらず渋滞していた。 ところが小松坂下の交差点付近から工事が再開された。 掲示板には、渋滞解消のための工事を9月30日までに行うと記載されていた。 娘の家の完成予定と一緒になった。

 最近、水戸から転勤してきた理髪店の店員さんが語ってくれた。 「水戸駅の西口はデパートが撤退したり寂れてきています。それに比べて南口には大きなショッピングができて賑わっていますよ。」 マーチャンは中学生の頃から水戸の親戚や大学に通っていたので懐かしく聞いた。

 水戸は土浦に比べると2~3度は気温が低い。 県庁所在地ということで、昔から高層ビルが建ち始め、土浦と比較してみてきた。 水戸駅西口から銀杏坂を昇る車と人の波が続いていた。 県庁の笠間町への移転に伴って、市内にも変化が出てきたようだ。

 土浦の東口も車の流れがよくなりそうだが、土浦港入り口からはまだ2車線である。

2009年4月29日 (水)

トマトの定植

Photo_4Photo_5  わが家で育てたトマトの苗を定植した。 キューリパイプを鉄棒や横棒で固定したトマトハウスは7mの長さになる。 この組み立てを板橋に住んでいる従兄弟夫婦がやってくれた。 二人とも、東京の中学校で体育の教師を勤めた頼もしい助っ人だ。 マーチャンより一回り若い彼は、少年時代よく遊んだ仲だった。

 他力本願になりつつあるマーチャン農園に、このハウスが4棟建った。 数日後、親しいkazuさんと家内に助けてもらって、3棟に苗を植えビニールをかぶせた。 きのう畑に行ってみると無残にもビニールは破れていた。 Hさんが予定通り来てくれたので、竹棒を立てて倒れそうなトマトを紐で結えてもらった。 落花生の種蒔も手伝ってもらった。

 数日後、板橋の頼もしい助っ人が来てくれる。 それまで破れたビニールの補修はお預けだ。 この時季日本列島には、二つ玉の低気圧が襲い雨と強風をもたらす。 恐怖の強風である。 「そんなに作ってどうするのよ!」今年も家内のボヤキが聞かれる。

Photo_3  「先生ブルーベリーは酸性好みですからね」 教え子たちから贈られたブルーベリーを鉢植えした。 ピートモス・鹿沼土・赤玉を3・3・4の割合にして植え込んだ。 「今度マーチャン農園の野菜を食べる会をやろうか!」レスリング協会の、愛称だったアキランボウがうれしいことを言ってくれた。

2009年4月28日 (火)

春の花壇

027  我が家の花壇に注目した。 家が建ったころ、堅い砂利などがあり土盛りをした。 アイリスやスイセンの球根は、放置しているので年々広がってきた。

PhotoPhoto_2Photo_3 キンセンカ・デージー・パンジーがいつものように彩りを競っている。 毎年同じような種子を購入してしまう。

Photo_4Photo_5  商品に入っていた種袋から、緑肥と同じようなクローバーの花が咲いた。 どこから飛んできたのか、野生のポピーらしき可憐な花が咲いた。 雑草と一緒にかたずけられなかったようだ。

Photo_6  裏庭にヒメリンゴの鉢がある。 宮城県で見たリンゴの花と同じように真っ白な花を毎年咲かせる。 10年前に園芸展で買ってきたが、最初に可愛らしいリンゴがついた時ざるで収穫してしまった。 鑑賞リンゴなのに食べられると信じていた。Photo_7

 玄関に戻ったら、3年B組の教え子から贈られた生花が迎えてくれた。 ブルーベリーは鉢に植えて庭で大切に育てることにした。  

2009年4月27日 (月)

戦後の思い出

Photo  戦後の昭和22年4月、おふくろと5人のきょうだいがこの神立駅に降り立った。 マーチャンは6年生になったばかりのことだった。 着のみ着のままで樺太から引き揚げ、第二のふるさとに達した瞬間であった。駅前には商店や人家が数件建っていたが、農道に入るとナラや小松林が一面に広がっていた。 土浦の川口に住んでいた祖父母がこの近郊に疎開していた。

Photo_2 面影の残るこの家の一部屋で、シベリヤに抑留されていたおやじを待っての生活が始まった。 このハナミズキのあたりに小屋があって、リンゴ箱でウサギ小屋を造りうさぎを飼いだした。 親父が復員して、すでに購入していた前の土地に居を移した。 この間、中学2年・高校2年の時には妹とおふくろと悲しい別れをした。

 間借りしていたこの部屋で、夕やみ迫る頃おふくろと外を眺めていた。 ガラス戸越しに西から東に向かって火の玉が横切って行った。 彗星のように尾をなびかせていた。 不思議なあの現象は何だったのか今でも謎である。 幼かったマーチャンと信心深く善良だったおふくろは魂だと思っていた。

Photo_3Photo_4Photo_5024  祖父母の跡を今はいとこ家族が継いでいる。 周りには新興住宅だ建って、当時の様相とは一変してしまった。 きれいに手入れされている庭を拝見しながら、過去の思い出を語って来た。

2009年4月26日 (日)

愛しの3年B組

PhotoPhoto_2  春の嵐が吹き付ける中、教え子たちの同窓会で歓待を受けた。 教師冥利に尽きる一時であった。

 愛しい教え子たちも卒業後37年が過ぎているという。 でも当時の面影が蘇ってくる。 当時の愛称で語り合っている様子を堪能してきた。

 皆さんから心の籠ったプレゼントを贈られた。 大実のブルーベリーの苗木が3鉢あった。 マーチャン農園には、クリ・キュウイが数本あるが、さらに賑やかになりそうだ。 通信はがきが添えられていた。 参加できなかった仲間からの便りの中に『モコモコ先生お変わりありませんか?』があった。 当時、土浦四中の裏門には窪地があって、スバル360の愛車が息をついて登っていた。 マーちゃん自身もモコモコだったのかな?

 一人一人から近況報告があった。 一言も漏らさず聞き入った。 介護施設を難病を克服して立ち上げた女の子、子育てと家族をホローしている専業主婦などが続いた。 全日本女子レスリング連盟の理事長・新日本無線株式会社の事業部長の名刺を受けた。 自動車のデイラー経営・大学教授・農協総務部長・郵便局長・JR技術部門のチーフなどなど、枚挙に暇がなかった。 少女趣味の招待状と名簿を作った、寺院の主婦Kさん『幼稚園児の学習素材を利用したんです』といつもの笑顔を見せてくれた。

『お元気で生き生きと活躍されている先生は私たちの誇りです。 これからも個性豊かな私たちを思い出してください』 うれしい文章に触れて、ジーンときてしまった。 

2009年4月25日 (土)

富士崎町の桜

1111017  3月19日、何時ものように軽トラに乗って富士崎町のため池のそばを通った。 千鳥ヶ淵を思い出させるみごとな桜が咲いていた。 車を降りて、周りを散策し始めた。

111PhotoPhoto_2 昨年の春も、このスポットを投稿した。 1年間がすごく短く思われる。 桜はマーチャンとは違って、ほとんど変わりなく今年も美しい姿を見せていた。

Photo_5Photo_6  満開の桜と土浦四中3年B組同窓会の招待状である。桜の花びらを織り込んだ少女趣味?だ。

 昭和48年(1973)に卒業した、懐かしい教え子たちと5回めの逢瀬が今夕実現する。 社会人として指導的立場にある彼らも50歳代に入り益々活躍していることであろう。 当時は、第四次中東戦争の勃発による石油危機・トイレットペーパーや洗剤の買いだめが起きた。 金大中事件・日航機ハイジャックなど世情が不安であった。 明るいニュースでは江崎玲於奈氏のノーベル物理学賞があった。 それ以上に、明るく純真な生徒諸君がマーチャンの教職生活を満喫させてくれた。 

2009年4月24日 (金)

桜川

Photo  3月中ごろの散歩中に撮った、匂い橋からの桜川の桜である。 昔のお花見と言えばこの周辺であった。 土浦の花火の時は、あの桜の大木の下に人が溢れていた。 あれから新しい桜が植えかえられて、最近復活してきた。

Photo_2Photo_3Photo_4  車か通れなくなった北側の桜が満開を迎えれいた。 子どもたちが幼児の頃、乳母車に二人を乗せて家族揃ってお花見した。 懐かしい桜町も、あの頃とかなり変わっていた。

11_2Photo_6 桜川の車が走っている土手にやってきた。 桜とウララを撮ろうとしたが、枯れ木が入ってしまった。 ソメイヨシノは弱い桜だという。 排気ガスの影響なのだろうか、かわいそうだった。 この土手下は、住宅地になっていた。 桜川の洪水の時には、被害にあった地域だった。 土手を固めてくれた桜のお陰であろう。

2009年4月23日 (木)

土浦市役所の桜

PhotoPhoto_2  土浦市役所の桜が満開の日、散歩がてら訪れた。 家内は民生委員とマーチャンたちの定額給付金の書類を届けているあいだ、カメラを向けていた。

「Mさんじゃないですか!懐かしいな~」 桜のトンネルとなった坂から、土浦一中時代一緒に勤めていた事務のMさんに遭遇し声をかけた。 当時は給料が現金手渡しだった時代だけにありがたい存在であった。 「あら!せんせい!しばらくです。 変わらないですね~」 Mさんは、マーチャンを励ます意味で言ってくれた。 でも、Mさんは近眼だったからな? 今でも、教育委員会の学務課に勤めているとのことを聞いてうれしく思った。

Photo_3Photo_4  Mさんが去って間もなく「今日はFです」と男子職員が声をかけてくれた。 マーチャンが尾瀬沼へ行った時の写真を、Fさんは職場で見て覚えていてくれたのだ。  あのときハイキングした人たちと一緒に勤めているとのことだった。 市民に親しみを感じさせるFさんに会えて心が豊かになった。

2009年4月22日 (水)

新川の桜

Photo  真鍋台から見た真鍋宿通りの写真を、まちかど蔵で撮った。 明治41年生まれの親父が、青春時代この一角に下宿して旧制土浦中学校へ通っていたという。 晩年、その当時のことを何度も語っていた。

Photo_2  陸前浜街道だったこの橋を渡ると真鍋町となる。 マーチャンも高校生の時代、この道を3年間渡って通学した。

Photo_3 当時は新道だった旧6号線にも新しい橋が架けかえられ、多くの車が行き交っている。 時の流れを感じさせるこの辺りは、新川の桜で脚光を浴びている。

Photo_5Photo_6Photo_7Photo_8  源氏物語の講座の時、講師の先生から「平安時代の頃は季節はずれは忌み嫌った」と話していた。 葉桜となってしまった今になっての投稿である。 今年は初めてこの辺りに屋形船が浮かんで賑わったという。 「家の裏庭の桜奇麗だったでしょう!」マーチャン妹夫婦が満足そうだった。

2009年4月21日 (火)

歴史のふるさと白河市

PhotoPhoto_2 奥州三関の一つだった白川の関の地、白河市市役所である。 青みを帯びたオオシマ桜が咲いていた。

Photo_3Photo_4Photo_5  妙関寺の乙姫桜のすぐそばには、妙徳寺の見事なしだれ桜があった。 日が陰ってみる大木のしだれ桜に、荘厳な印象を受けた。

Photo_6Photo_7  最後のお花見を終えて、車窓から白川小峰城を撮った。

Photo_8258  東北新幹線白河駅に着いた。 福島交通の感じのいいベテラン運転手とユニークなガイドさんとお別れした。

 『心もとなき日かず重なるままに、白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ』 芭蕉の心を思いやった。

 真新しい感じの新幹線ホームに横断幕がかかっていた。 大河ドラマ『天地人』にかかわる革籠原の防塁跡がこの近辺にあるようだ。 上杉討伐を目指した徳川家康軍を一網打尽にするための防塁があったのだ。

2009年4月20日 (月)

妙関寺の乙姫桜

PhotoPhoto_2Photo_3  花見山公園に未練を残して、次の観光地白河市へと向かった。

 バスは白川市役所の玄関前に停車した。

Photo_4Photo_5Photo_6  歩いて5分、目的地の妙関寺についた。 『妙関寺の乙姫桜』は今が満開であった。 伊達正宗が桜の苗木を将軍家に献上する途中、そのうちの1本を現地に植えたという。 樹齢400年、高さ13メートルの紅しだれ桜である。

2009年4月19日 (日)

花見山公園2

Photo  花見山公園の入り口に立った。 休憩小屋にテーブルと椅子が一か所だけあいていた。 箱弁当を開いて一服した。 

 『福島に桃源郷あり』と写真家の秋山正太郎氏がいわれた通りの見事な花山が開けていた。

Photo_2 Photo_3  八重咲きの緋色の花をつけた花桃の枝の先に、福島市が望めた。

Photo_4  桜の花だろうが、八重咲きでふくよかな白い花が目を和ませてくれる。 マーチャンは体力に合わせて、45分のコースを昇って行った。 そして数多な花との出会いができた。

Photo_5Photo_6Photo_7  可憐なモクレンの花が開いていた。 聞きなれないサンシュユの線香花火のような黄色の小さな花が中心にあった。

 花桃・ボケの花の後ろには、レンギョウが囲んでいた。

2009年4月18日 (土)

花見山公園1

PhotoPhoto_2  塩釜を後にして、ツアーバスは福島の花見山公園へ向かった。 雪を頂く蔵王連峰が車窓から見られた。 

Photo_3Photo_4Photo_53  ぎっしり詰まった駐車場から、人並みに押されるように花見山公園へ向かった。 1960年頃から、土地の所有者である花卉園芸家の阿部一郎氏が『花見山公園』と命名し無料開放を続けてきたという。 マーチャンが就職したのもこの時期だ。

 まだ公園の入り口に達しないというのに、サクラ・モクレンなどの花がいっせいに咲き競っていて人々を圧倒していた。。 

2009年4月17日 (金)

撫で牛と文治の燈籠

PhotoPhoto_2  塩竃神社の境内には歴史に残る思い出があった。

「商いは牛の涎(よだれ)」 牛の涎のように商いが細く長く続くことを祈願して信者が奉納したという。 無職のマーチャンだが、牛の頭を優しく撫でてやった。

 義経を深く思慕した芭蕉は、この文治の燈籠に感銘を受け、平泉では「夏草や兵どもが夢の跡」の句を残したという。

Photo_3Photo_4  本殿を仰ぐ社務所前の庭は満開の花が競っていた。

 修学旅行の高校生が記念写真を撮っていた。 若い人にも美しい花に囲まれた社殿が魅力だっようだ。

Photo_7 Photo_5Photo_6  「コース変更最高だったよ!」 若い添乗員に感謝した。 福島なまりのベテランバスガイドさんも、わかりやすく案内してくれた。

2009年4月16日 (木)

しおがまさま お花見

PhotoPhoto_2  東北鎮護・奥州一宮の『塩竃神社』へ恐れ多くもお花見にお邪魔した。 広い境内には、荘厳な社殿が沢山建っていた。 航海安全・交通安全の神徳をはじめ、長寿・安産・縁結びの神様が鎮座している。

 娘や孫の縁結びを願って、お花見そっちのけでお参りしている女性たちが動き出した。

Photo_3  マーチャンの家内も、『うまくいく御守』を二個お受けして娘のため我が事のように祈願していた。 自分とご主人の祈願はどこへやら!

Photo_4Photo_5  塩竃桜は、サトザクラの栽培品種で古くから著名であリ、境内には27本が国指定の天然記念物があるという。

2009年4月15日 (水)

西行戻の松公園

Photo  桜の開花状況に応じて、添乗員が西行戻りの松公園へ案内してきた。

 早朝でまだ霞のかかった松島の海岸線が真下に見えた。 干潮時であったが、懐かしい風景が広がっていた。

Photo_2Photo_3Photo_5Photo_6  この絶景を奥州百番千手観音が見守っておられた。

Photo_7Photo_8Photo_9Photo_10 昨夜の宿は、作並温泉であった。 日曜・休日に限っての高速料金1000円とあって、東北自動車道も混雑していた。

 このホテルは、若い従業員が多く笑顔と気配りで接待してくれた。 豚肉のしゃぶしゃぶに入れる丸ダイコンを削って入れてくれた。 食後は、御当地ゆかりの一の坊すずめ踊りを披露してくれた。 この後のお客さんが混じってのすずめ踊りは、お歳の割には愛嬌があって楽しかった。 賞品の抽選会など旅館もあの手この手の歓迎だった。

2009年4月14日 (火)

白石川一目千本桜

043 昔の土浦桜川堤を思い出させる、桜と提灯に巡り合った。

2Photo  狭い階段を下って河原へ出た。 ここは阿武隈川の支流・白石川の両岸に立ち並ぶソメイヨシノの桜並木である。

 東京に出て事業を成功させた高山開次郎氏が、大正時代に桜の苗木を寄付して、職人とともに植林したという。

 家康の家臣、松平正綱が20年かけて植林したという日光杉並木を思い出した。 世界最長の杉並木に匹敵する、満開の桜並木を堪能させてもらった。

Photo_2Photo_3  初めてのお花見ツアーに参加したが、どこへ行っても人人人で驚いた。 桜並木を撮ってみると必ず人の影があり、老木とも出会った。 チョット若いお二人さん、ベンチじゃーありませんよ!

2009年4月13日 (月)

三春の滝桜

Photo  桜前線を求めて、郡山経由で三春町へやってきた。 日本を代表する桜の巨木 『三春の滝桜』 を目当てに花見客の車と人の長い行列ができた。 一本桜として凛と立つ姿に感動を覚えた。

Photo_2Photo_3  ぐるっと一回りして、しみじみと鑑賞した。 歴史は千年以上と古く、周辺には娘桜や孫桜などと市民の手によって受け継がれているという。

Photo_4Photo_6Photo_7  郷土の龍ヶ崎般若院のしだれ桜と、霞ケ浦総合公園のしだれ桜を載せてみた。

 南から順々に咲いていく。 開花時期までの老木を管理維持してきた人々のお苦労を忘れてはならない。  

2009年4月12日 (日)

お堀巡り

Photo_6070_2Photo_7  天守閣の北の本丸大奥から外部に直接通じる『北桔橋門』は、濠は深く石垣は最も堅固雄大である。 橋は、はね上げる仕掛けにしてあり有事には開閉して敵に備えたといわれる。 月曜日と金曜日はこの門から『東御苑』へ入ることができず残念だった。

Photo_8Photo_9  平川濠のそばに架る昔は竹橋御門のあった、大きな橋を渡った。 橋の上から撮った満開の桜に映えるビル街が奇麗だった。

Photo_10  大奥女中たちの出入りする平川門があらわれた。

Photo_11  昔ははとバスからこのあたりを見学したのだろうが、この日は真っ赤なスカイバスが沢山の観光客を乗せて通りかかった。マーチャン一行は、この辺りで一万歩をこえる迷走を続けていた。

2009年4月11日 (土)

乾門前のしだれ桜

PhotoPhoto_2  北の丸公園の芝の広場には、家族連れの客が食事をとりながら桜見物していた。 やはりお花見には、お弁当持参でなくてはならないことを実感させられた。

 混雑する食堂で、水っぽいオムライスを我慢して食べた。

Photo_3Photo_4Photo_5  明治になって建てられたという京風の乾門が見える道路にぶつかった。 みごとなしだれ桜が咲き誇っていた。

 車の流れも気に留めず、しばし佇んで桜見物していた。

Photo_6  歩道橋を渡って、お堀沿いをあてどもなく歩きだした。 わが家でとっている毎日新聞社のガラス張りの建物が見えてきた。 初夏を思わせる快晴だった。

2009年4月10日 (金)

北の丸公園

046tayasumonnPhoto  北の丸公園の田安門に向かった。 旧江戸城建築遺構のうち最古のものだという。 満開の桜を眺めているのは、日本武道館で行われた東洋大学入学式帰りの親子である。 マーチャンの娘たちの入学式の頃は、忙しい中学校の教頭職にあって上京できなかった。

Photo_2  日本武道館は初めて訪れた。 月曜日とあって、東京国立近代美術館などは休館だった。 昭和40年の頃、中学校の富士箱根への修学旅行の帰り道、科学技術館に寄った記憶がある。 鉄・鉛・ウランの棒を手で持ち上げて、比重の違いを学んだ。 でも今日は入る気がなかった。

Photo_3Photo_4Photo_54 千鳥ヶ淵の桜を今度はお堀の上に立って鑑賞した。 やっぱり素晴らしい眺めだった。

Photo_6  お堀の石段を下って、新緑が開けた。 ホッとするような心の安らぎを覚えた。 満開の桜に酔ってしまい通常のなつかしい景色に再開したためだ。

2009年4月 9日 (木)

千鳥ヶ淵緑道の桜

Photo  昨年の春の同窓会の時、官庁に勤めていたK君から千鳥ヶ淵の満開の桜の写真をもらった。 一度は観たいと思ってやってきた。

 明治31年、駐日大使だったアーネット・サトウ氏が英国大使館の庭に桜を植えたのがきっかけで広がったという。

Photo_2Photo_3 緩やかにカーブしたお堀の水面に映える、桜並木の美しい風景に見とれてしまった。 『千鳥が羽根を広げた形』に由来するという千鳥ヶ淵は、長さ約770mの場所にソメイヨシノやオオシマザクラが約260本の桜で埋め尽くされていた。

Photo_4Photo_5  高層ビルに映える満開の桜もいいものだ。 お堀にボートを浮かべてお花見を楽しんでいるカップルが見えた。

 靖国を回ってきたマーチャン夫婦は、人混みの中をフーフーしながら歩いていた。 絶景の被写体と家内を探しながら、先へ先へと進んで行った。 「お父さんは自分勝手で付き合うのは大変だよ!」娘の苦言がちらついている。

2009年4月 8日 (水)

靖国神社

Photo  この本殿は、明治2年明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年に 『靖国神社』 と改称された。 

022  本殿前の大手水舎は、昭和15年アメリカに在住した日本人の方々が奉納されたという。

Photo_2  明治20年に建てられた第二鳥居は、青銅製では日本一高い。

Photo_3Photo_5 Photo_6 Photo_7  広い境内には、石灯籠や狛犬さんなどが沢山見られた。

028 靖国神社を後にしたとき、鳥居の上にはためく日の丸が印象的であった。 マーチャンの二人の伯父も祀られている神社でもある。

2009年4月 6日 (月)

靖国の桜

Photo_10Photo_11  靖国神社に参拝した。 小泉総理がよく参拝して、中国や韓国を刺激したことが思い出された。 戦火で尊い命を落とされた多くの慰霊に心からお祈りした。

 靖国神社の桜は満開が過ぎ、花びらが舞い始めていた。

Photo_12Photo_13  広い境内に600本の桜が、美を競っていた。 染井吉野・ウコン桜を写真に撮った。 能舞台も見られた。

お花見客が月曜日なのに沢山見られた。 特に年配者が目立つ。

Photo_14  幕末期の長州藩の医師であり兵学者であった、大村益次郎の銅像が中央に立っていた。 日本陸軍の創始者として君臨していた人だ。

Photo_15  靖国通りも桜並木と人の波でうずまっていた。

春の畑  

PhotoPhoto_2  ソラマメの花が一斉に咲きだした。 秋から冬にかけて、収穫したダイコン・ホウレンソウ・ネギなどがなくなってしまった。

 春になって、ダイコン・ニンジン・オクラ・二十日大根などを播いた。 

Photo_3Photo_4  サニーレタス・スナックインゲンが成長してきた。 野鳥がスナクインゲンの葉っぱを食べている。 マメ科の植物は鳥にとって美味しいのだろう。 サニーレタスには2種類あるが、葉は小さくてかたい。

Photo_5  ネギの可愛らしい苗を定植した。 ネギは乾燥に強く、根元にだけ土をかけてやればいいとのことであった。 間もなくネギ坊主が出てくる。 その蕾は切り落とさなくてはならない。 その後は、土寄せをするか深く植えかえてやらなければならない。 収穫は秋が深まったころとなる。

Photo_6Photo_7 薔薇の垣根が賑やかになってきた。 挿し木で増やしたこの薔薇は、亡くなったS叔父の愛した薔薇だ。

Photo_8Photo_9  マーチャン農園の桜の木に花がついた。 幼稚園からの記念の贈り物だ。 根元に雪柳が咲いている。

2009年4月 5日 (日)

春爛漫

PhotoPhoto_2  やっと春らしい気温となった。 土浦駅東へ向かう道路の柳が新芽を一斉に吹きだした。 みぐるしい電柱とトランスを覆う勢いだ。

Photo_3Photo_4  小松坂下の道路わきにチューリップが咲いていた。 拡張道路わきにみごとな歩道ができた。

Photo_5  いまにも枯れそうなヒノキがむき出しの根を土手に伸ばして立っていた。 マーチャンの現在の姿を連想させられた。

Photo_6  昔の農道だったこの道には、樹木の根がむき出しになっている。 大木を支える太い根が地下深く蔓延っている姿を垣間見ることができる。 この根っ子のように、マーチャンもしっかり大地に立ち続けなくちゃ~?

001 春一番に花をつける雪柳が満開だ。 白い花は目立つが、見ていると元気をくれる。 マーチャン農園では、バットで育てたネギの苗を定植した。 『土を被せすぎるよ!』 Sさんがアドバイスしてくれた。

2009年4月 4日 (土)

お城の桜

Photo  昨年の4月12日の松山城の桜を再掲した。 きのうは、東京の桜が満開となったニュースが流れた。 マーチャンの裏の広場の桜もちらほら咲きだした。

Photo_2 お城を背景に咲き誇る桜の魅力は格別であった。

Photo_3  お殿様も天守閣から桜を鑑賞していたことだろう。

Photo_4 城内には花のある野山の風景の屏風画があった。

169Photo_5  お殿様が見下ろしていた城下町。 近代的な都会に発展してしまった。 城下に住んでいた人々は、お城の天守閣をどんな気持で眺めていたのだろうか。 3333

2009年4月 3日 (金)

生姜の花

Photo_3  ケアンズの公園で 『これは生姜の花です』 と添乗員に教えられた。 きのう、マーチャン農園で初めて生姜の球根を植えこんだ。 日本の生姜の花は白っぽいもののようだが、熱帯地方ではずいぶんカラフルだ。

Photo_4Photo_5  ケアンズの街角で、街路樹の伐採作業をしていた。 クレーン車に乗って枝を切り落とし下へ降ろしていた。

 その枝は、粉砕機のついた車の中に放り込まれ、瞬時に木端となって出てきた。 熱帯地方の樹木の生長は早いので、このように処理しているようだ。

123 道端に青々と茂ったこの植物から、白い可憐な花が咲いていた。 たどたどしい英語で、この花の名前を地元の人に尋ねたが、だれも知らないという答えが返ってきた。 

2009年4月 2日 (木)

草花が元気になった!

Photo  この頃の気温の上昇で、庭の草花も勢いを増してきた。 昨年の9月10日に種をまいたパンジーやデージーとキンセンカたちだ。 寒かった冬を越して、半年過ぎたことになる愛らしい草花たちだ。

 パンジーもデージーもミクスなのでいろいろな花を楽しませてくれる。

Photo_2Photo_3  ミニ葉ボタンは姿を変えて、茎を伸ばし花を咲かせた。

 キンセンカは、寒さに強いが今年は開花が遅れた。昨年の花の種から増やしたためだろうか。 スイセンやアイリスの茎がのびて花のつぼみが膨らんできた。 球根が毎年増えて、この時季花壇いっぱいになっている。

Photo_4Photo_5  サンルームに咲いたシンビジュームである。 毎年咲かせているうちに色が褪せてしまった。 今回も、切り花にしてお彼岸のお墓に飾ってきた。

Photo_6 数年前、姉にあげたクンシランが、日当りのいい廊下で元気に育っていた。 わが家のクンシランは、サンルームの片隅で、ひっそり咲いている。

2009年4月 1日 (水)

沼知公園のコブシ

PhotoPhoto_2  市役所わきの沼知公園まで、散歩した。 沼知豊三郎氏が寄贈された公園のシンボル 『下高津のコブシ』 の花が開花した。 左の写真は、1月12日のもので、右が花をつけたコブシである。 木の幹に蔦が絡まっている。 

 心なしか寂しげな姿であった。 なかなか手入れが難しいのだろうが、沼知氏ならどうされるのだろうと考えさせられた。

Photo_3Photo_4  市役所側の日当りのいい場所に、桜の開花が見られた。 その足元には、野草の花の群落があった。

 ソメイヨシノは、この寒さでつぼみら開かない。 来週には、市役所や桜川湖畔の桜が見ごろを迎えることだろう。 

 マーチャンのデジカメは、キャノンのイクシーである。 倍率が3倍なので、7倍ズームのリコーR10を購入した。 新機種の登場で、3万円以下で手にいっることができた。 筑波山などの遠景がよく撮れるようになった。Photo_5

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30