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再び茨城大学農学部の農場を振り返った。 サトイモ畑やナス畑が、すでに青々と茂っていた。 どうして、マーチャン農園の作品とこんな違いができるのだ。


3月26日に訪問したとき、堆肥づくりについて先生からお話を伺った。
牛舎の藁や糞が雑草と一緒に積み重ねられていた。 この山を一年以上積んで置き、時々切り返して、完全に腐食するのを待つという。 ミミズやバクテリアの働きで、野菜にやさしい堆肥ができるのだ。
マーチャン農園は、牛糞の代わりに台所の野菜くずや落ち葉・作物の枯れ葉を積んでいる。 これらをしばらく放置していた。 昔ながらの万のうで切り返すには体力がいるのである。
数日前、板橋の従弟Mちゃんが、友人のSさん夫婦を伴ってセルシオでやって来た。 マーチャンより一回り若い二人は、初めてのたい堆肥づくりをあっという間にやってくれた。 他力本願のマーチャンには、この日もKさんも加わって、ナスやピーマンの篠棒への固定。大根抜きなどの初体験をしてもらった。
今年のタマネギも収穫時期を迎えたが、みんな小粒である。 堆肥を入れてやらなかったつけである。 雨が予想された、昨夕化成肥料をまき散らした。 こんな手抜きは初めてのことである。


バスツアーお決まりの寄り道、お土産店の前にしらさぎ邸があった。
昭和天皇が那須の御用邸に来られた際に、サギソウをご覧になるため訪れたという。 7月頃からシラサギに似た、白い花をつける。 (ちなみにシラサギは、ダイサギなどの羽の白い仲間を指している。) 昭和天皇は生物学者として、海洋生物や植物の研究に力を注がれていた。

チーズガーデンには、初夏の花が咲き乱れていた。 マーチャンは、あまりチーズケーキを好まなかったが最近娘たちに付き合うようになった。。 きのうは、懇意にしているKさんのお嬢さんの作ったチーズケーキを頂いた。 食べる前から予想していた通りの美味で 二人で仲良く分け合った。
先月、お土産に姉からもらった御用饅頭が陳列されていた。 いつだったか、バスガイドが「茨城県の人が一番お土産を買うそうです。」といっていた。 マーチャンはこの日はじっと我慢して、試食で一番おいしくて安かった饅頭を1個だけ買ってきた。


時季外れの6月4日、八幡のつつじ公園へやって来た。 名残のヤマツツジが雨に濡れていた。 可憐なサラサドウダンが唯一我々を和ませてくれた。
標高1,100mの園内には、木道がかかっていて10万本のツツジが植えられている。
健康温泉入浴法の現地学習、八幡温泉の旅館が茶臼岳の麓にあった。 那須の御用邸と同じ、大丸温泉が源泉だという。 実用小筆の講座で一緒になった、Mさんと一緒に入浴した。 旅は道ずれ世は情けというが、好感度抜群のMさんと楽しい1日となった。
残念ながら、那須連峰は眺望することができなかった。 中学校2年の学年主任を務めていた頃、那須果子少年の家に宿泊して、8クラス300余名の生徒たちと茶臼岳登山をした。 夏でも、1週間しか晴れないというこの山は快晴であった。 下山の途中、予定にないロープウェイを使用するはめとなり、集団で道なき谷間を越えるというハプニングがあった。 ほろ苦くも懐かしい思い出の山であった。
元禄2年4月18日 奥の細道紀行の途中 殺生石を訪れた芭蕉の句があった。
この溶岩からは、硫化水素・亜硫酸ガスなどの有毒ガスが噴出して、近づく人や動物を殺したことから「生き物を殺す石」 殺生石と名づけられた。

教傳地獄の由来が掲示されていた。 奥州白河在の五箇村に蓮華寺があった。 不良な息子を母親は心配して、このお寺に預けた。 この寺で住職となった教傳は、母と過ごしていたが親不孝を続けていた。
ある日、教傳は友人たちと湯治目的でこの地にやって来た。 突然噴火が襲い、教傳だけ身動きできなくなってしまった。 「おれは寺を出る時、母の用意した御膳を足げりにして来た天罰を受け火の海地獄に堕ちていく」 といって苦しみもがき、腰下が炭のように焼け爛れて息をひきとった。
マーチャンも少年時代、おふくろに悪態をついてよく困らせた。 後悔先に立たずである。
健康温泉入浴法の講座のH先生が、温泉神社を案内してくれた。 確かに観光旅行と温泉との関わりは大きい。
自然や景勝地を訪ねることで、心の潤いができ健康に役立つ。
西暦630年代、那須の住人 狩野三郎行広が大きな白鹿にあい、矢を射って傷をつけた。 傷を負った白鹿が湧き出る温泉に浸かって、傷を癒しているのを見つけた。 これが那須温泉発見の発端となった。 やがてこの神社が創建されて、行広さんも祀られたという。

鳥居をくぐるとマイナスイオンが降り注いできた。 登ってみたくなる石段が、奥に向かって連なっていた。
御神木『生きる』は、ミズナラ。 推定八百年・樹高18m・根元の幹の周囲4m。 活力・蘇生力・生命力等のパワーが授けられる巨木として崇められている。 今のマーチャンにとっては、心惹かれる神木であった。

傷ついた鹿を癒したという鹿の湯に浸かった。 健康温泉入浴法の現地学習で、急きょ追加された温泉である。
廊下を渡った左側の温泉は、41~46度の6つの浴槽が木枠で連なっていた。 ぬるめの半身浴を始めたマーチャンは、まずは41度の浴槽に半身を入れた。 次に、42から43度の浴槽にに移った。 5人がやっとの浴槽で、お互いが静かに熱さに耐えていた。
元気な同行者の中には、46度に挑戦していた。 『身体は耐えられるが、足先が我慢できないよ!』 といってゆでダコのようになってあがっていた。
登別や草津の温泉旅館とは違った、湯治客向きの情緒たっぷりの鹿の湯に魅せられてしまった。 温泉水には、遊離硫化水素(H2S)が含まれているという。 H2Sは空気中の酸素によって徐々に酸化され硫黄になる。 硫黄の匂いが我が家に帰っても消えなかった。
この温泉は、正倉院文書にもその名を留め、約1300年の歴史を数えるという。 渡り廊下に腰を降ろしていた、仲の良さそうな夫婦が『同県に住んでいるが、ときどき来るんですよ!』と語ってくれた。

南流山駅から初めてTX線に乗った。 子どもたちから観劇の招待券を与えられ、明治座に向かうためである。
メトロ線乗り継ぎなど、詳しい道順をパソコンで出してくれた。 家内の後について、あちこちカメラを向けていた。

下町情緒の残る人形町の界隈を、キョロキョロしながら歩いて行った先に銀杏並木が見えてきた。 マーチャンにとっては、初めての明治座に到着した。
梅沢武夫劇団6月公演を、梅沢富美男・前川清のお馴染みのお笑いトークと歌を交えての演出だった。 二幕目の終わりに、梅沢武夫団長の癌との壮絶な戦いが語られた。 肝臓ガンの手術を3カ月延ばして、公演で芸を全うしたことなど、ただただ感動をもって聞いてきた。
ほぼ同年代の方の、不屈の人生体験を心に刻んで、3幕目を残して明治座を後にした。
土浦の桜川沿い花火打ち上げ広場の近くに、巨大なイオンが建った。 開店1週間の昼前、暇人のマーチャンはデジカメを片手にぶらりとやってきた。
4,200台置けるはずの駐車場が、屋上を除いて満車状態だった。



Cゾーンから入って、1~3階そして屋上まで目的もなく歩き回った。
年寄りにはハードな距離である。 途中で、マーチャン妹夫婦に偶然出会った。 お勤めお休みの娘と孫を伴って楽しそうだった。
その時、ニコニコした愛想のいい男性と目があった。 はてこの方は誰だったか? 思い出せないまま笑顔であいさつを交わして、すぐにお別れした。 こんなことが最近よくあることで、マーチャンもいよいよ・・・・・かな?と気をもんだ。
家に戻って、ふと思い出した。 公民館で囲碁を楽しんでいた仲間の一人であった。 最近2年ほどあっていないので、忘れていたのだ。 マーチャンより後輩で、マーチャンに勝つと喜んでいた人だった。 どうせ暇な二人だったので、親しく語り合えばよかったと後悔した。
マーチャン農園のまだ若い野菜たちが、上棟式の祭壇に鯛と並んでお供えされた。
子ども夫婦があれこれ考えて、設計した家の上棟式が行われた。
埼玉の『大工のお父さん日記』のブログを投稿している、K工務店名棟梁の手で、会社の人たちや知人に見守られて、木造二階建ての柱が建て揚げられた。

この天井の祭壇に、夫婦も梯子伝いに登っていた。 マーチャンの家の上棟式の時は、家内が下に待機して縁起物の品物を受けただけだった。 時代は変化している。 棟梁の教えを頼りに、安全と繁盛祈願が執り行われていた。
K棟梁のブログに基礎工事の写真が数枚のっていた。 しっかりした土台にこだわりの柱が組み立てられていた。 若い二人の確かな人生を祈願した。


雨上がりの穏やかな日、教え子が嫁いだお寺を訪ねた。 K・Mさんが笑顔で迎えてくれた。
豊森山 常玄寺 文殊院 卯年守護の寺であった。 山門をくぐると本堂が見えてきた。 文殊院本堂の手前に見事なサツキが咲きそろっていた。
本堂の伽藍の前に座って、本尊 文殊菩薩に合掌した。 煩悩をさ迷っているマーチャンの平安を祈願した。
本堂の脇に像高90センチメートルの阿弥陀如来座像が安置されていた。 南北朝時代の作で、当寺が真言宗になる前の本尊だと思われる。 美大で学んでいるお嬢さんが入学したころ心をこめて描いた、先代住職の肖像画が置かれていた。 住職は歴史館に勤務していてお会いできなかったが、いつの日か説法を伺いたいものだ。