
世の中不景気だというのに、お花見の客が後を絶たない。 平和な現代日本の象徴でもある。
今日もマーチャンの世まい言にお付き合いいただきたい。 今年に入って、ひろ兄さんと慕っていた従兄と常陸大宮の斎場でお別れをした。
樺太本斗町生まれの彼は、学徒動員で樺太の国境警備に当たっていたが、ソ連軍の侵攻にあい一夜にして敗残兵となり、敷香から延々と単身内幌まで落ちのびてきた。 そしてマーチャンの家で一年以上の生活が始まった。 本斗町の家族は終戦直後内地へ帰ってしまったからである。
雪解けの始まった春、彼とマーチャンは内幌町の南にある小さな漁村南名好の知人を頼って向かった。 内地へ一日も早く帰りたい彼と、息子を内地の祖父母のもとへ届けたいというおふくろの願いもあって、危険を伴う密航を企てたのである。
南に向かう海岸線は、ソ連軍のジープや軍用トラックが走っていた。 日本へのソ連軍の参戦を求めた、アメリカは大量の軍需物資をソ連に与えていたのである。 幌を被った6輪駆動の大型トラックを、若いソ連兵を載せて猛スピードで通り過ぎていた。
面白いことに、手を振ってヒッチハイクを試みたらトラックの幌の中に載せてくれた。 ソ連の占領も定着していたこともあって、彼らの中にも思いやりのある人間がいたのである。 思いもよらぬトラック輸送で、早めに南名好の漁師の家についた。 ひろ兄さんは今回が2度目の挑戦であった。 その時は、マーチャンの兄と一緒だった。
雪を被った小さな家の薄暗い部屋で、天候やソ連の巡視船の様子を監視しながら、漁船での密航のチャンスを探っていた。 しかしながら、荒れ狂う樺太の海とソ連の巡視艇の警戒のため1週間で内幌のわが家へ戻ることとなった。 あの時、密航が成功していたらマーチャンの人生も大きく変わっていたかもしれない。