日記・コラム・つぶやき

2009年12月28日 (月)

回想2009(桜)

008  3月29日、竜ケ崎市の般若院の桜をはじめ今年は例年になくお花見をした。 011031034 4月6日は皇居の周りの桜を観賞した。 靖国神社をスタートして千鳥が淵・皇居と歩き回った。

2009年12月26日 (土)

回想2009(初日の出)

002016029  今年もあと一週間を切った。 数年でブログも783件目の投稿となった。

 最近は言葉が思うように出てこなくなって、自分でも疑問の残る内容となってきた。

 今年のスタートは初日の出との対面であった。 帰省していた二女を伴って、張り切っていた。 霞ケ浦総合公園は大勢の人たちで混雑していた。 この一年が、自分たちにとってどのような年になるかだれにも予想はつかない。 マーチャンも、初日の出を拝み幸多かれと祈念した。

035 年の初めは、見るもの聞くものが新鮮に感じられる。 毎年繰り返される正月の行事は、過去・現在・未来変わることはないだろう。

 

2009年12月25日 (金)

クリスマスイブ

020  年の瀬を迎え行き交う車も、忙しなくなってきた。

『パーティーやるから来て頂戴!』娘からの招待があった。 亭主が中国へ出張してしまったので、マーチャンと家内を呼び出したのだ。

 『デコレーションケーキを作って、もてなしてくれるのかな?』と期待して出かけた。 アパート住まいの娘が、忙しなく動いていた。 お腹の中の孫も協力しておとなしくしているようだった。

011  完成間もないキッチンで、来年のクリスマスイブを想像した。

 この日ばかりは、家内も家事から解放されて娘の接待に満足そうだった。 『パーティーできたかな?』妹から姉へのメールが入った。 

2009年12月24日 (木)

筑波山と万葉集

129_2120_2104_2105_2  筑波山は、標高876メートルとそれほど高くないが、関東平野にあって遠くから望むことができた。

 そのため古くから人々に親しまれていたという。

 筑波山には、農閑期になると歌垣の場が開かれたという。 男女が歌をやりとりして互いに相手を見つけ、踊り・舞い・乱交を楽しむ習慣があったのだ。

  『我が面の忘れもしだは筑波嶺を』・・・私の顔を忘れてしまったら、筑波山を見て懐かしんでください(私の)君。

 『橘の下吹く風のかぐはしき 筑波の山を恋ひずあらめかも』

 『筑波嶺を 外のみ見つつありかねて 雪消の道をなづみ来るかも』

2009年12月23日 (水)

矢祭山の夕暮れ

136見ぬ人に 何を語らん みちのくの 矢祭山の 秋の夕ぐれ

 延宝元年(1673.9.2)徳川光圀が詠んだ句碑が久慈川沿いにあった。 ちょうど326年前の丑歳にあたる。

131133  水戸黄門と言われた光圀公が、この地に訪れて、久慈川の自然を堪能していた当時を想い起こしてみた。

025016 お住まいの西山荘から、矢祭山までは徒歩でやってきたのであろうか。

 昔の人は、遠出するのも徒歩であった。 あの正岡子規が東京から水戸の偕楽園へやってきた記録もある。 

 数年前に他界されたK先生は、稲敷から砂利道を自転車で土浦一高まで通学していたという。 厳冬の自転車走行は、手足が麻痺するような厳しさである。

 車社会になって、歩くことの少なくなった今は、散歩が欠かせないことを実感している。

2009年12月22日 (火)

年賀状

002008  埼玉の箭弓稲荷神社に奉納された牛の絵である。

 牛年の今年も一週間余となってしまった。 マーチャンの年賀状は、毎年二女がパソコンを駆使して書いてくれている。 印刷は長女がやってくれる。 その空白に数行の寄せ書きをして投函する。

 今年の年賀状には、マーチャンが筆で書いた『寅』を使うので、インターネットで送るよう指示してきた。 硯と筆を長女が用意してくれたので頑張って書いた。

 折り返しパソコンに賀状の絵柄が届いた。 大根・カブ・ほうれん草で構成された『福楽寿』であった。 「寅はどこなんだ?」と思いやっと探し当てた。 左下の年月日の下にシャチハタのような赤い寅が押されていた。

 今年もお世話になった方が亡くなられて、名簿から削除しなければならなかった。 年賀状だけのお付き合いになってしまった人も多い。 それでも思い出は大切にしている。 ましてや教え子たちからの賀状は、マーチャンの心を潤してくれる。

2009年12月21日 (月)

リンゴの唄

060062  信州リンゴを毎年送って頂いている。 今年は蜜の入ったおいしいリンゴだった。

 リンゴというと青森や長野だと思っていたが、写真のリンゴは袋田である。

 リンゴの原産地は、中央アジアの山岳地帯などの寒冷地であったという。 日本に導入されたのは、明治以降だという。 

 『赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている青い空・・・ 』 戦後初の映画『そよ風』の主題歌であった。 この歌が戦後のヒット曲第1号になったという。

 昭和20年の頃のマーチャンは、まだ樺太にいた。 内地に帰って来てこの歌を口ずさむようになった。 サトウハチロー作詞・万城目正作曲のこの歌を並木路子がう歌っていた。  この時代のリンゴは、木の箱にもみ殻に包まれてお店に並んでいた。 まだ庶民には高値の品であった。

2009年12月20日 (日)

同峰公園を一周

151152  つくばの同峰公園には何度か来たが、池の先へ入ったことがなかった。 植物園で、『同峰公園にもメタセコイアの並木がありますよ!』と教えられてやって来た。

 同峰公園の入口のパン屋さん、アンデルセンで腹ごしらえをして入って行った。

153154165 池の周りに、紅葉したメタセコイアが何本もあった。 同峰公園もかなり広い面積であることを再認識した。 ミニ新宿御苑といった感じである。 デジカメを手にすると歩く力が湧いてくる。 万歩計はすでに7000を超えていた。157167171

2009年12月19日 (土)

日曜日のイーオン

047  日曜日の夕方、土浦のイーオンを訪ねた。 駐車場の空きを探すのに大変だった。 妊婦さん優先の幅の広い駐車場が開いた。

 娘と家内が許可証の札をもらってきた。 土浦の車が全部集まっているようだった。

019  館内のいたるところに食堂があった。 ジャスコの食品コーナーは満員の人出だった。 魚市場のように声高らかに、新鮮魚を売っていた。

 野菜のコーナーは、ダイコン・ハクサイ・キャベツなどが山と積まれていた。 牛久では、企業が農業を始めたという。 もしかしてこの野菜たちはそのたぐいだろうか。

024 初夏の時に訪れた時、野菜や草花造りの写真展が開かれていた。 多くの人たちが野菜や草花に関心をよせ、栽培している人が増えているようだ。

027035032  文字通り総合デパートのようだ。 このほか映画館もある。 土浦市内の商店街を気遣う思いはマーチャンだけでないと思う。

2009年12月17日 (木)

土浦市役所の寒桜

024025  土浦市役所前のロータリーそばの築山に、寒桜が咲いていた。 身重の娘と家内の3人で、市役所からの展望を楽しんでいたら、通りがかりの奥さんが寒桜の開花を教えてくれた。 ありがたい市民交流であった。 寒波到来にもめげず咲き誇っていた。

017018

 市役所にしばらくぶりで入った。 最近はめったに訪れることがなくなった。

 眼下の土浦第二小学校を写真に撮った。 その先に水郷の風車が写っていた。

 いつものことだが、筑波山を背景にした市街地を展望した。 そばにいた娘が、一人語とを始めた。 お腹の中で、胎児が足蹴りを始めたという。 胎児はすでに聴覚を備えているという。 母親の優しい語りかけの始まりが不可欠だという。

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